ごぶさたしてます。第2回です。
大学のゼミでは、卒論の発表をしていて、これがなかなか厄介なのです。中身のない発表をすれば、「お前はそんなんで大学院に行くのかよ」と思われかねず、必死なのです。
でも、ある程度、目処はたちましたね。
いろいろ書き溜めてあったものを放出してみます…
多過ぎやしないか。
これでは更新を停止した意味がないのではないかと正直へこんだ。思考がとまらない。それもまた悲劇だ。
■「ジン♪ジン♪ジン♪ジン♪松原仁♪」というわけで、衆院選が始まった。本当に騒音がうるさい。前にも書いたが、選挙の宣伝カーから流される騒音は環境破壊である(参照:中島義道『うるさい日本の私』新潮文庫)。特に耳に障るのが「日本共産党」だ。「日本共産党!日本共産党!日本共産党!」とやたら連呼をする(比例代表じゃないと議席を獲得できないからね)。共産党は凶産党と名前を変えたほうがよい。こんな非人道的な洗脳が許されるのか。共産党は「生活」に身近な政策を訴えているが、我々にとって現在進行形で生活を脅かしているものが、他ならぬ「日本共産党!」連呼である。
■候補者が握手をしたり、笑顔で手を振ったりして、票を獲得しようと考えるのは、選挙民をなめてないか。親近感を覚えて投票するだろう、と選挙民をなめきっているのだ。だが、その隙をつかれる要因は選挙民にあって、それで投票してしまう人が少なからずいるのである。「マニフェスト選挙」と言われているが、実態は何も変わっていないし、政治家は変えようと言う気がない。「政策本位の…」という言葉だけが虚しく響く。
■今回、民主党の選挙キャッチフレーズは「つよい日本をつくる」である。「つよい」と聞いて、思わず「軍備増強か?」とか「小沢一郎が入っておかしくなったか?」と思ってしまうが、そういうことではないらしい。これが「強い日本を作る」だったら、さらなる誤解を生んだだろう。平仮名でやわらかいイメージを作ってるわけね。
■「つよい日本」と聞いて「あぁ日本経済再生のことを言ってんだな」と思うものの、何だか「経済成長至上主義」のような臭いも同時に感じてしまう。もう少し違ったキャッチコピーはなかったのだろうか。
■宮沢喜一と大勲位・中曽根康弘が去る。それにしても、大勲位の往生際の悪さは見てるこっちが気の毒になった。「使命感」なるものに突き動かされて政治家を続けるそうだが、国民にとっては…「こいつはまさに大迷惑♪」(ユニコーン)…なわけですよ。
■山崎拓が選挙戦ピンチらしい。女性票の獲得に躍起になっているらしい。ここで思うのは、なぜ「変態プレイ」は、女性に強く影響を与えるか?という点だ。男性にはそれほど影響はないのか?女性は自分が山拓に「変態プレイ」をされることを想像して、「気持ち悪い」と思ってしまうのだろうか。
■何が選挙行動に影響を与えるか、というのはなかなか面白いテーマだ。男性・女性、および世代間では政策の優先順位も違ってこよう。スキャンダルや汚職事件もそうだし、例えば、経済を重視するのはどっちか?「女性は平和を好む」という言説がまかり通っているが、これは真実か…など。
■ニュースステーションやNEWS23もたまには見るが、毎日見るわけにはいかない。というわけで、『サンデーモーニング』を見ている。やはり特徴的なのは「ご意見番スポーツ」である。張本勲が、新庄剛に「喝!」を入れるのがこのコーナーの醍醐味であったが、最近出てこない。しかし、張本の「生きる化石」っぷりは健在で、「女々しい(めめしい)」「男らしい」「日本人なら」「日本男児として」という言葉のオンパレードだ。
■書いていて改めて思うのだが、「女々しい」というもののインパクトはすごい。「大辞林 第二版」によれば、?いくじがない、思いきりが悪いなど、男としてふさわしくない。柔弱である。?女のようだ。…ということだ。それに対して「雄々しい/男男しい(おおしい)」はどうか。?男らしくて勇ましい。いさぎよく力強い。…あまりにも対照的である。女性蔑視表現として、放送禁止用語に指定していいと思う。「女々しい」で今でも印象に残っているのが、高校の頃、女の子が「うちのクラスの男子って、女々しいなぁ…」とぼやいていたことがあった。自虐ネタではなさそうなので、無自覚ということだろう。
■最近よく聞くのが「男・星野仙一」である。「星野仙一」というのは「男らしさ」の代名詞になっている。だが、この「男らしさ」も変容を迫られているのではないか。化粧をしたり、エステに通うことが女性の専売特許でなくなり、男性も利用するようになった。そういった現象を見て、「最近、男らしい男がいなくなった」と嘆くわけだが、これって語義矛盾のような気がする。「男らしさ」とは、「男の平均的な特徴」と解釈するのが本来の姿じゃないか。であるならば、「男らしい男がいない」なんて状況はありえないのであって、人々が昔の「男らしさ」にとわれているだけのことである。(もちろん、この語は多様性を否定する論理を内在している)
■「男らしさ」喪失の嘆きが、どういうわけか「女性は家庭を守れ!」という意見と共鳴し合っている。「男性は仕事、女性は家庭」という役割分担を主張するのがまさにそれで、どうもそこには既得権を守ろうと必死な男性の姿がある気がしてならない。このことと石原慎太郎の支持層が中高年の男性に多いことは無関係ではあるまい。
■男女間の賃金格差は、依然として大きいわけで、なるほど「男性は仕事、女性は家庭」というのは「合理的」であるかもしれない。夫婦間の合意で役割分担が決められるべきことなら何も問題はあるまい。しかし、そのこととその既成事実が「制度化」されてしまっていいということは別問題である。女性から「働く自由」という潜在的自由を奪うことは問題だし、日本の男女間賃金格差は依然として大きい。社会的公正という観点から言って、これは見過ごされるのは問題で、是正が検討されてしかるべきである。
■…こんなことを某女子大の知人と話していたら、「うちのサークルの学習会で、経済学と女性との関係で何か話をしてくれないか?」というオファーが。「卒論が忙しい」と言って断ったものの、「じゃぁその後で…」という何だか厄介な方向にことが進みつつある。田嶋陽子的な似非フェミニストがいることが常で、かなり面倒なことになりそうだ。「右翼」「左翼」などと同じく、イデオロギーに凝り固まっていて、思考が停止しているからだ。
■やるとしたら、
大沢真知子『新しい家族のための経済学―変わりゆく企業社会のなかの女性』中公新書でもテキストに指定するかなぁ…
■そう言えば、うちの父親は「サザエさん一家」を「よい家族」と評している。あれも「父性」なるものへの憧れの一形態なのかもしれない。波平という「大黒柱」によって、安定が保たれる家庭だ。かつて、父は「一家の大黒柱」「誰のために飯が食えると思ってるんだ!」と暴君ぶりを発揮していた。そう言えば、いつしかそれが聞かれなくなった…僕を含めた家族から、いかにそれが間違った考えであるかを指摘する反乱が起きたからだ。これは、まさに「父性」の喪失であって、「父性の復権」を渇望する意識が、「サザエさん一家」につながっているのかもしれない。
■有栖川殿下が詐欺で逮捕されちゃった。騙された面々が笑える…石田純一、エスパー伊東、そして羽柴秀吉だ。「俺も皇族に呼ばれるほど名誉を手に入れたかぁ…」と喜び、のこのこと騙されにやって行ったなんて最高じゃないですか。エスパー伊東や羽柴秀吉なんて、ワイドショーに出てきて「自分はバカです」と発表する始末だ。いや、そんなことわかってるって。おかし気の毒だ。