■いちおう日本人なんで、日本の選手にはがんばって欲しいと思うものの、メディアの意気消沈ぶりを見ると、どうもニヤニヤしてしまいます。
■まだメダルはゼロ…んで、テレビを見てると「メダルがすべてじゃない」「メダルメダルって騒ぎすぎ」とかバカ丸出しなコメントするわけ。もう笑ってしまいますね。そんな「癒し」はいらねぇっての。
■五輪報道なんて、メダリスト中心もいいところじゃないか(まぁ「感動」させようとしょっぱい物語を作るケースもあるけど)。だいたいメディアが注目してるのは、メダルがとれる確率が高い競技だし、実際に視聴者だって、見たいのはメダルなんだからさ。取れなかったからって、見苦しい言い訳はしたくないもんですね。
■冬季五輪の中で感じた『違和感』(サンケイスポーツ2006年02月15日・コラム甘口辛口)
冬の五輪は『アスリート系』と『ストリート系』を、分けて開いた方がいい。日本がメダルに届かなかったスピードスケートの男子500メートルと、スノーボード女子ハーフパイプを交互に見ながら思った。片や100分の1秒を争い、一方は遊び感覚で格好からして、街で見かける若者のようなダブダブファッションだ。なんだろなぁ…言わんとすることはわからんでもないが、ちとおかしいんじゃなかろうか。
日本の選手たちも、はたち前後の若者が多く中にはスタート前に奇声を発し、転んだ後にカメラに向かってポーズを作る選手までいた。トリノまで遊びにきた、といった感じである。行儀は悪いが、ノリのよさでメダルの1つや2つは取るのか、と見ていたら男女とも惨敗。歯を食いしばって滑る500メートルと見比べると違和感は際立った。
■「最近の若者は…」的メンタリティというか、ようするに、態度が気に入らない「アスリート」は認めないってことでしょう。 「街で見かける若者のようなダブダブファッション」がいけないのか。 あるいは、スピードスケート選手の太股のように、目に見える努力をしていないのが気に入らないのだろうか。前にも書いたと思うが、どうも人々は「さわやかアスリート」を求めたがる、というか押しつけがちだ。
■今井メロやら成田童夢とか…世間的にも評判は悪そうだけどね。ま、私は「メロラップ」には笑わせてもらったから、全部ひっくるめて許しておくよ。
98年長野五輪からの正式種目採用は、「これから金になるスポーツ」と踏んだ当時のサマランチIOC会長のツルの一声で決まった。長野の組織委員会が困惑したほどの強引さには、かなりのうさん臭さが感じられた。「米国のテレビとの関係もあるようだが、五輪種目としては、見ていて明らかに異質で中高年にはまったくなじめないと思う」と五輪評論家の伊藤公氏はいう。態度が悪いに始まって、そもそもこんなん加えるべきじゃなかったという奇妙な展開。
■「五輪種目としては、見ていて明らかに異質」ってのも、それを言い出したらカーリングの立場はどうなるんだ? 「中高年にはまったくなじめないと思う」を翻訳すると、自分は「最近の若者」的なノリが許せないから、余計なパフォーマンスはせずに真剣さを見せろってこと。
世界と渡り合うならガマンするにしても、ハーフパイプだけで男女8人も行って、見せられたのは世界との大きな差だけだ。「税金の無駄遣いはやめろ」とつい、いいたくもなる。「単純計算で航空運賃などひとり60万円ほどはかかる」らしい。
■「皆さん、こんな不届き者に、こんなにも血税を使ってるんですよ」と共感を集めようとしているのだろうが、こんな回りくどい言い回しをしなくても、「奴らの態度が気に食わん!」で済む話ではないか。それならば、「そうだそうだ」と言ってやる。
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