2005年11月25日金曜日

渡辺恒雄・靖国参拝批判

■どうも、あれですね。ここの存在を忘れてしまうんですね。私がすっかりほったらかしにしている間も、足しげく通ってくださっている方もおり、なにやら申し訳ない気分でいっぱいになるものの、そんなことを書いて媚びるのもどうかと思うので、何事もなかったかのようにすましておくのだった。

■中立的な祈念碑建設を…追悼施設議連で本社・渡辺主筆(読売新聞)
 自民、公明、民主3党の有志議員による「国立追悼施設を考える会」(会長=山崎拓・自民党前副総裁)は24日、国会内で勉強会を開いた。

 講師として招かれた読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長・主筆は「歴史認識を間違えさせる施設が(靖国神社の)遊就館だ。社務所の出版物も戦争責任の反省があった上で戦没者に追悼の意を表する趣旨がない。『A級戦犯はぬれぎぬを着せられた』というようなことが書いてあり、納得できない」と述べた。そのうえで、「小泉(首相)さんは戦争体験はないだろうが、まじめな歴史研究を重ねて想像力を巡らせば正しい判断ができる」と語り、首相は靖国神社を参拝すべきでないとの考えを示した。また、「(戦争責任に関し)身ぎれいにして、外国にものが言えるような立場にならなければならない。とりあえずは中立的な無宗教の国立追悼・平和祈念碑の建設を決定していただきたい」と要望した。
 なるほどねぇ。まぁ、それはそのとおりであるとして、これって読売の論調との関係でどうなんだろうと思ったり。

■読売の靖国のスタンスについて、しっかり見てきたわけではないんで、検索してみたら、まぁ賛否はあるけども、「他国の干渉によって決めることではない」ってな無難なスタンスらしい。

■今年の8月15日にこんな社説も書いてる。あまり関係しないかもしれないけど…

■[戦後60年」「『戦争責任』を再点検したい」
 靖国神社には、死刑の7人を含む「A級戦犯」14人が合祀されている。この中には、開戦回避に尽力し、開戦後も早期講和の方途を探り続けた東郷茂徳元外相がいる。

 こうした人物も「A級戦犯」と位置づけられていることが、議論を複雑にしている。

 ほかにも「A級戦犯」がいる。合祀された14人を含めて、全部で25人である。この中には、後に池田内閣で法務大臣を務めた賀屋興宣元蔵相もいる。重光葵元外相も含まれている。重光元外相の死去に際しては、国連総会で黙とうが捧げられている。
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 対米英蘭戦争の責任は、東条英機内閣だけにあったのか。その前の近衛文麿内閣は、どうだったのか。対米英蘭戦争につながることになった日中戦争は、どういう人たちの責任なのか。広田元首相の死刑は不当だったとしても、責任はなかったのか。

 開戦後も、戦局の悪化にもかかわらずいたずらに早期講和への道を阻んで、内外の犠牲を増やし続けていった責任はどうなのか。

 東京裁判がきわめて疑問の多い粗雑なものであったとすれば、こうした「戦争責任」を、日本国民自らが再点検してみるべきではないか。

 戦勝国による政治的枠組みの中で規定された「戦犯」概念とは一定の距離を置いた見直しが、必要だろう。

 それは、「A級戦犯」14人を合祀した靖国神社の論理とも一定の距離を置いた見直しでもあろう。


あ、もちろん、保守派のアイドルであるパール判事も登場しますよ…
 インド代表のパル判事は、東京裁判そのものは勝者による敗者への「儀式化された復讐(ふくしゅう)」とし、被告全員を無罪とする長大な「パル判決書」を提出した。

 ただし、この「判決書」は、講和条約が発効して日本が主権を回復するまで、連合国軍総司令部(GHQ)により、公表、出版は禁じられていた。

 東京裁判の国際法的「性格」については、パル判事だけではなく、当時、欧米の多数の国際法学者などから疑問が投げかけられていた。



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