2005年2月17日木曜日

寝屋川市立中央小学校:少年犯罪

■大阪・寝屋川市立中央小学校に侵入し教職員3人を死傷させた少年犯罪が世間を騒がせている。事件そのものよりも、やっぱ、報道のされ方というか、社会のリアクションに注目してしまうわけだが。

■で、限られた情報の中で、「ゲームオタク」という格好のキーワードが登場。やっぱ、この不安をゲームのせいにして、安心感を得たいんだろうか、テレビが「ゲーム脳」の特集を始めたり、あるいは「バイオハザード」に熱中していたという情報がでてきたり。ま、さすがにこれのせいだって言い切るスタンスはなかなか見当たらないけど…

■大阪教職員殺傷:ゲーム好きの少年が急変(毎日新聞)
 級友たちが「普通の子だった」と口をそろえる少年を何が凶行に駆り立てたのか。

 テレビゲーム「バイオハザード」。主人公がゾンビをショットガンなどの武器で倒し続ける。96年に第1作が発売された「バイオ」はゲーム自体の面白さのほか、斬新な画面でも評判を呼んだ。続編を含め全世界で数千万本が売れ、映画にもなった。

 少年も小学生の時から「バイオ」にはまった。攻略法を友人の前で見せ得意げだった。小学校で同級だった高校2年の男子生徒(17)は「学校で一番うまかった」と語る。ただゲーム以外に話題が少なく、教室でも一人でいることが多かったという。おとなしい普通の子は学校で孤立するようになった。
 どうしても、バイオハザードのせいにしたい人には、「ヒーローゲームで暴力的に?」というエントリーをおすすめ。

■そういえば、フジテレビが少年の実名を流すという失態をやらかしたそうっすね。いやはや…これでネット批判が封じられるわけだな。


【追記】
■産経抄(2/17)
 安全であれ、と願う「学校」での惨劇はいつもやりきれぬ気持ちをひきずる。大阪の小学校で起きた殺傷事件も、十七歳少年の日常が表出するにつれ、切なさがつのる。ゲーム・プログラマーになる夢を抱いていたという少年の同級生らの証言には、耳を疑った。
 ▼「ゲームで夜更かしをして朝起きられずに不登校気味になった」「自室には百本以上のゲームソフトが並んでいた」。少年の親は子育ての過程でなぜ、これほど大量のソフトを与える必要があったのだろう。
 ▼親子間をとりもつ緩衝剤であったのか。あるいは夢を実現させてやるための、親なりの愛情表現だったのだろうか。どんな理由であれ、ゲームソフトは子育てはしない。「子供を不幸にする一番確実な方法は、いつでもなんでも手に入れられるようにしてやること」。フランスの思想家、ルソーの言葉だ。
 ▼月刊誌『正論』の昨年十月号で、漫画家、さかもと未明氏は、スーパーなどから子供が駄々をこねる光景が消えつつあることに触れて、こう記している。「親が『五十円、百円なら』と子供の欲するままに買い与えているせいだろう。しかし(中略)幼い頃に自らの欲望を抑える訓練をしなくていつするのか」。
 ▼少年は「いじめに遭ったとき助けてもらえなかった」と供述している。事件は多角的に検証しなければならないが、己の欲望を満たしてくれないモノは許せないという短絡的な責任転嫁の論理が凶行の誘因だったとすれば、多くの親への警鐘となろう。
 この論こそ「短絡的な責任転嫁の論理」って気がするけど。つまり、「親の責任」に仕立て上げて、この不可解な事件を葬ってしまう、ってわけ。
■そして、この論に続きがあるとすれば、このように続くだろう…「家族機能を強化すべきだ、それには厳格な父親が必要である」。

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