2005年1月11日火曜日

成人の日

■今年も「荒れる成人式」をオトナたちが血眼になって探すんでしょうね。「成人の日」というのは、オトナたちが道徳的優位にたてる日であり、オトナたちが「大人」でいられる日だ。


■どういうこと書いてんだろ…と社説をながめる。昨年、「ニート」という言葉が注目を集めただけに、それとの関連で書かれているもんが多い。

■産経新聞/社説「成人の日 日本の未来を担う気概を」
 中流意識が強かった日本の大人社会でも、貧富や将来性の格差が広がり、二極化が進んでいる。バブル崩壊後の厳しい成果主義の導入などが原因とされる。しかし、安易に「勝ち組」「負け組」に分けてしまう最近の風潮は問題である。若者は常に上昇志向の意識を失ってはならない。

 戦後日本が若い労働力を必要とした昭和三十年代、集団就職列車に乗って東京・上野駅に着いた中学卒業生たちは「金の卵」といわれた。将来への希望を持ち、定時制高校などに通いながら懸命に働いた。こうした先輩たちが日本の高度経済成長を支えた。

 今、日本は経済に加え、政治や外交でも自立することを目指し、戦後体制から脱皮する重要な変革期を迎えている。きょう十日は成人の日。日本の未来を担う若者たちは、大きな夢と志をもって社会に巣立ってほしい。
 なんか…産経っぽいというか。まるで、お国の活力のために働かんかい、って言ってるみたいだ。

■読売新聞/社説[成人の日]「『働く』ことの意味を考えたい」
 だが、そこで立ち止まって考えてみてほしい。これからの人生設計の土台となる、「働く」ことの意味である。

 新成人が生まれたのは、経済がバブル景気に向かうころだ。完全失業率は今の約半分の2・7%だった。買い手の企業側が採用活動に熱心で、就職協定の解禁日には、ほとんどの学生が就職活動を終えているほどだった。バブル崩壊の後には長い不況が待ち受けていた。リストラの嵐が吹き荒れた。「超」の付く就職氷河期は、まだ続くかもしれない。

 気がかりなのは、働こうとしない若者が増えていることだ。
 厚生労働省の二〇〇三年の調査では、ニートは、前年から四万人増え、五十二万人もいる。フリーターも八万人増えて二百十七万人だ。企業が採用を抑え、人材育成を怠ってきた影響は大きい。だが、若者の側も就労意欲をなくし、働くことに価値を見いだせなくなっている。このまま若年雇用が衰退すれば、日本経済も危うい。

 大学でも高校でも「キャリア教育」が盛んになってきた。学校段階から、若者に正しい「キャリアデザイン」を描かせる必要性が強まってきたからだ。今では大学の半数が、学生に企業で就業体験をさせ、単位認定もするインターンシップ制度を導入している。

 「『働く』というのは、上から言われたり、お客から要求されたりするのを待つだけではなく、自分で考え、工夫や改善をしていくものだ、と学んだ」昨夏、東京の企業でインターンシップ研修をした私大生のリポートだ。「アルバイトとは違う、社会人になるという意識を高められた」ともつづっている。
 短期間でもいい。こんな制度を利用して、働く現場に身を置いてみてほしい。大人社会の空気を肌で感じれば、きっと人生設計の参考になるはずだ。
 大学って、いつから社会人養成所になったんだ? こういうときは「学力低下」を心配しないんだね。

■日経新聞「若者を社会に生かす道探れ」
 新たに大人の仲間入りをする若者たちへの期待は大きいが、少子高齢化がすすんで人口減少社会に向かう日本の心配の種が「ニート」に象徴される社会参加意欲の乏しい若い世代が急増している現象である。

 就学・就職意欲のない無業者を意味する15歳から34歳の「ニート」層は一昨年で52万人にのぼる。全体の2%、10年前の1.6倍に達するという推計もある。

 正規の就業をしないでアルバイトを繰り返す「フリーター」は1980年代の後半に登場したが、これも現在417万人に上るという。若者が将来への夢を描けない社会は生き方やモラルをゆがめるばかりでなく、税収や社会保障制度など国の活力を脅かす危うい社会でもある。

 この間、若者を取り巻く教育と就業の構造が大きく変わった。正規の労働力需要が減る一方で、学校の職業教育がなし崩し的に空洞化した。家庭の所得格差が拡大して、若者の学力や社会参加意欲の格差につながったという背景も考えられる。

 「ニート」で突出しているのは学校を卒業して間もない19歳と23歳の層だという。進学や就職など進路選択のプロセスで希望する就業先などがみつからず、そのまま社会への参加意欲を低下させてしまうケースが少なくないとみられる。

 夢を温めた若者が社会参加へ挑戦して挫折した場合、日本は再挑戦の仕組みが少ない社会といわれる。就業機会の拡大や職業教育の再構築とあわせて失敗を乗り越えてやり直しができる仕組みが不可欠だろう。

 成人は若者が社会の一員となって自己実現を目指しながら「大人」へ歩み出す第一歩である。そのためには、若者本人の意欲とともに希望を育てる社会の責任が問われる。
 ま、「働く」ことの意味を考えなきゃならないのは、若者だけじゃないでしょってこと。

■日本社会が「フリーター」(もっと言えば多様な就業モデルだが)や「ニート」に対応できてるわけでもないのに、なぜ若者ばかりを責める? …と、偉そうに訓示している人らには言いたくなるけどね。

■朝日新聞/社説「変身・半世紀――静かに燃やせ20歳の灯」
 「20歳やそこらで、夢や目標を決然と語れるのは、ほとんど絶滅種です」と語るのは、若者の動向に詳しい久木元真吾・家計経済研究所研究員。フリーター400万人という就職難の時代だ。いきおい一生の仕事を選び取る時期も遅くなった。「今では、自己決定の年齢は20代後半にずれ込んでいる」と言う。

 食べるために働く。世のため人のために尽くす。そんな「青年の主張」世代の職業観はもう通用しない。「自分らしい仕事をしたい」「何をやりたいのか考えたい」と若者らは迷い続ける。

 ことし、150万人が成人の仲間入りをする。生まれたのは84、85年。ものごころがついた頃にバブル経済が破裂し、その後は何もかも下がり続ける歳月を送ってきた。高度成長のもとで、上昇一辺倒だった親世代とは職業観にしても人生観にしても大きく異なる。

 純粋で、従順で、とても繊細。今の若者は、夢や情熱を声高に語りはしない。けれども、胸の奥には大切な灯を一つや二つはともしている。

 今日あたり、その灯を取り出して、家族や親友にちらりと見せてはどうだろう。温かい言葉が返ってくるはずだ。
 しょっぱいこと書きますね。


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