2004年11月13日土曜日

都立高校、「奉仕」必修科目

■都立高校、「奉仕」を必修科目に・教育庁方針(日経新聞)
 東京都教育庁は11日までに、2007年度から都立高校全200校で「奉仕」を必修科目にする方針を固めた。05年度にカリキュラムに関する研究校20校を指定する。卒業後、進学も仕事もしない若者が目立ち始めていることから、在校中に社会的な接点を増やし、進路選択の幅を広げるのが狙いという。都道府県立高校全体で奉仕活動を必修化するのは全国で初めて。

 都教育庁によると、「奉仕」を卒業に必要な一単位(35時間)として設定。このうち10時間を座学とし、残りの時間を障害者施設や老人福祉施設での介助といった活動に充てる。活動内容はボランティアと同じだが、「生徒が自発的に行うのではないため『奉仕』と呼ぶことにした」としている。都立校ではすでに15校が選択科目としてボランティア活動を単位認定しているが、一部の生徒が学校の周辺を清掃する活動にとどまっているケースもあるという。同庁の担当者は「奉仕活動に全校生徒で取り組むことで、将来の進路や今の社会について関心を持つきっかけになる」と話している。
 「ボランティア」という言葉の定義で批判をくらったから、それをかわすために「奉仕」と名を変えた…って感じですか。

■「奉仕活動」必修科目に 全都立高で07年度から(産経新聞)
 社会で必要とされていることや、人から感謝される喜びを奉仕活動を通じて体験し、将来の生き方について考えてもらうのが狙い。背景には、通学せず仕事にも就かず、職業訓練も受けていない「ニート」と呼ばれる若者の増加があるという。
 よくわかんね。

■週1回や、夏休みにまとめて行うなど、実施方法も任せる…ってんだけども、進学校に通っている都立高の学生にとっては、うっとうしいだろうな。ますます私立と差をつけられたりして。私だったら、いかに効率的にサボるかに腐心しただろうな。

■朝日新聞/社説 「奉仕」必修――生徒の自立に生かせ
 都教委は「学ぶ内容はボランティア活動と同じだ」と説明する。すでに15の都立高校がこうした活動を単位に認定しているが、あくまでも希望する生徒だけである。

 それが必修ならば、受けないと卒業できなくなる。ボランティアには、もともと志願者という意味がある。自由な意思が前提の活動を、学校で義務づけることに異を唱える人は少なくなかろう。

 奉仕という言葉にも違和感はある。たとえば、広辞苑は「つつしんでつかえること」「献身的に国家・社会のためにつくすこと」と説明する。かつて勤労奉仕に市民が駆り出された時代があった。ボランティア活動と同じと言われても、素直に受け取れない向きもあるだろう。
 まぁ、保守派が牛耳っている東京都がやってるから、こういう懸念も出てくるんでしょう。森喜朗の「滅私奉公」がリンクしてどうも嫌になんですけども。

 人生の目的や意義を考える。互いの違いを理解して尊重する。社会人に必要な常識や能力を得る。活動を通じて得られるこうした学習効果は、今の若者に求められているものだ。

 私たちは93年の社説で「ボランティア活動を学校で必修に」と提言した。そうした活動は社会の成熟に欠かせず、その精神を身につけるには体験が大事だ。学校に通う時期に、体験する機会を持つことはきわめて有意義だと考えた。

 ただし、高校入試の内申書に活動を書き入れ、評価の対象にすることには反対した。ボランティア活動は本来、優劣をつける性質のものではないからだ。

 今回の東京都の試みも、細かい成績をつけるのでなく、活動時間を確認する程度にとどめる。そんなやり方なら生徒の意欲を引き出せるだろう。

 都教委は、今年まとめた教育ビジョンで、奉仕体験の必修化の目的として「規範意識や公共心の育成」を掲げた。どちらも大切ではあるが、目標をそこに押し込めては、社会を学ぶという本来の教育効果を狭めることにならないか。

 必修化は、あくまでも生徒が社会の一員として自立することを後押しするものであってほしい。それには、地域社会の協力が欠かせない。先生は率先して体験する必要があろう。そのうえで、指導のやり方は各校の工夫にまかせたい。
 へぇ…妙に好意的なんだなぁと思ったら、「ボランティア活動を学校で必修に」と社説で書いてしまっていたのね。10年前の社説を持ち出すってのは不自然だから、どこかから突っつかれた形跡がありますね。

■私が義務教育をうけていた頃にも、「道徳」という奇妙な授業があったけども、「奉仕」はこの亜種ってわけか。

■保守派主導で行われている点が大いに気になるところだが。効果にちょっと怪しいとこがありまして、知的誠実性を理由に、とりあえず、賛否判断を保留しておきますかね…


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