2004年11月12日金曜日

ヤセル・アラファト議長

■ついに死亡してしまいました。ま、「独裁者」としての側面というか、後継者を育ててこなかったツケが回ってきそうですけども…

■議長の死…中東不安定化の恐れも 内部対立の懸念(朝日新聞)
 今後、ブッシュ政権などが提案した、05年までのパレスチナ国家樹立を目指す中東和平ロードマップ(行程表)の実現が課題となる。危ういのは議長の後ろ盾を失った穏健派のクレイ、アッバス両氏の足場だ。独立と引き換えに入植地やエルサレムの帰属問題で譲歩すれば強硬派や過激派は強く反発し、パレスチナは分裂する恐れがある。

 さらに行程表はパレスチナ難民問題の解決策を示していない。難民は周辺アラブ諸国を中心に300万人以上いる。オスロ合意では最終交渉まで棚上げされ、難民たちは議長の決断を待って10年間、沈黙し続けた。難民問題を置き去りにしたまま独立国家ができても、パレスチナ問題の半分は残ることになる。

 パレスチナ問題への対応で長年、アラファト議長だけを頼りとしてきた国際社会は、議長の死で問題の複雑さと危険さに直面することになろう。


■アラファト議長が死去(読売新聞)
ヤセル・アラファト議長=1929年8月24日生まれ。生地はエルサレム、ガザ、カイロなど諸説がある。50年代末にファタハを創設し対イスラエル武装闘争を開始。69年にパレスチナ解放機構(PLO)の第3代議長に就任。ヨルダン軍との内戦(70―71年)、イスラエル軍のレバノン侵攻によるベイルート撤退(82年)を経て、93年にイスラエルと平和共存をうたったパレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)に調印した。

 94年7月にPLO本部のあったチュニスからガザ地区に帰還。同年、イスラエルのラビン首相、ペレス外相(いずれも当時)とともにノーベル平和賞を受賞した。2000年秋のパレスチナ人によるインティファーダ発生をきっかけに、01年末以来イスラエル軍によりヨルダン川西岸ラマッラの議長府内で軟禁状態に置かれていた。



■揺れる『アラファト後』(東京新聞・核心,11/06)
■治安

 アラファト後をめぐり各派の覇権争いがうごめく現在、後継体制を脅かす勢力は、ファタハ内保守派よりも、PLO反主流派のパレスチナ解放人民戦線(PFLP)、さらにはPLOと一線を画すイスラム原理主義組織ハマスなど、武力衝突に発展する可能性のある過激派へと広がっている。

 一日には、イスラエルのテルアビブで自爆テロが発生。自治区内に犯行声明のビラをまいたPFLPはその中で「イスラエルへの武力闘争に反対するパレスチナ分子に打撃を与えるために決行した」と、対イスラエル和平路線のクレイ、アッバス両氏を威嚇した。

 パレスチナでカリスマ的な存在だったアラファト議長の“重し”が失われつつある今、後継体制には、解放闘争の主導権獲得を目指す過激派を実力で制圧できる治安体制が不可欠。だが、四年に及ぶイスラエル軍の侵攻でパレスチナ警察は壊滅し、暗殺や拉致が横行する無政府状態の中で、治安確保のめどは全く立っていないのが実情だ。

■経済

 イスラエル紙ハーレツによると、自治政府の財政当局は二日、支援元の関係各国に「数カ月以内に政府職員に対する給与の遅配が発生する」と、ひっ迫する自治政府の財政状況を伝えた。

 当局はまた、自治政府の腐敗根絶と改革を検証する支援国の専門調査団に対し、初めて積極的に協力する考えも示した。アラファト議長の不在を機に、ファイヤド財務相ら改革派勢力が、財政危機からの脱却に向けて打ち出した、独自の方針転換だった。

 だが、世界銀行はパレスチナ自治区の経済が「危機的状態」にある最大の要因として、イスラエル軍侵攻などで「物流や労働力の移動が停止状態にあるため」と指摘。イスラエル軍が自治区住民に弾圧に近い形で検問を強化している現状では、パレスチナ経済の自律的な回復はほとんど不可能な実態が浮かび上がる。

 経済悪化の元凶はまだある。保守派を中心にはびこる汚職構造により、自治区の行政は機能不全に陥っている。

 自治政府の構造改革を進める道は唯一、国際社会の財政支援を得て当座の危機を乗り切ることだ。しかし、それは逆に、自治政府内で新たな内部抗争を生む要因にもなりかねない。ジレンマに挟まれ、打開の糸口さえ見えない壁が、アラファト後継体制の前途に、厚く立ちはだかっている。


■夫人と側近「カネの争奪戦」勃発、資産4410億円(夕刊フジ)
 アラファト議長の死去により、注目されるのが推定42億ドル(4410億円)とも言われる資産の行方だ。

 アラファト議長は40年間の独裁で“広告塔”として抜群の集金能力を発揮。自治政府は海外諸国や国際機関からの援助の受け皿になってきた。一方でこうして得た金をバナナ農園や、IT関連企業に投資。世界中の銀行口座に蓄財していた。

 国際通貨基金(IMF)の調べだと、このうちの相当額が議長の個人的な口座に流れたことが判明。総額は最大で10億ドル(約1000億円)と見積もられている。

 自治政府の一部からは民族評議会の調査を要求する声もあがり、国際社会の非難を受けて多少の改善はされた。しかし、「カリスマ」と言われた議長は、実は部下に大金をばら撒き、忠誠を買ってきたのだ。

 多額の仕送りでパリで優雅な生活を送ってきたスーハ夫人(41)は、財産の分与を求めており、議長の生命維持装置のスイッチを握ってきたとされる。議長の死去で、側近グループと夫人、自治政府による「カネの争奪戦」が勃発しそうだ。
 この「夫人」が曲者なんですよね。そのうち暗殺されるんじゃないか。


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