2004年10月8日金曜日

イラク戦争の大義

■ともかく、イラクに大量破壊兵器はなかった。それだけは事実だ。我々は小泉政権、そしてそれを支持した読売新聞・産経新聞がどのようにこの戦争を総括するかを見守る責務がある。
■読売新聞/社説 [大量破壊兵器]「脅威は間違いなく存在していた」
 ブッシュ米大統領は、「テロリストに大量破壊兵器が引き渡される危険を座視するわけにはいかなかった」として、戦争の正当性を主張し続けている。
 報告書は、戦略的決定は、独裁者フセインが下していたと結論づけている。一九八〇年代に実際に化学兵器を大量殺戮に使い、それがイランとの戦争では効果をあげたと確信した、としている。
 フセインは、大量破壊兵器の廃棄を求める国連諸決議を、繰り返し無視してきた。大量破壊兵器が存在しないことの立証責任も、果たそうとしなかった。
 こうした状況から、世界中が、イラクは大量破壊兵器を保有している、と考えたのも当然である。
 国際原子力機関(IAEA)のブリクス前事務局長は、「あと、二、三か月の査察継続で、大量破壊兵器はなかったと報告できた」と主張している。
 だが、その結果、国連安全保障理事会が制裁を解除した場合、イラクは再び大量破壊兵器の開発に向かう可能性があった、というのが報告書の趣旨だ。
 ブレア英首相は、「フセインに兵器開発の意図があり、国連決議に従うつもりがなかったことも明らかになった」と強調した。軍事的制裁なしには根本的解決はなかったとの認識を示したものだ。
 フセイン政権は崩壊したが、イラク情勢は混迷が続いている。米国の戦後統治に問題があったのは明らかだ。それが、戦争の正当性に疑問を投げかける論拠にもなっている。
 イラクの安定化には、治安回復と政治日程の円滑な実行が不可欠だ。米国はじめ国際社会には、そのために努力する責務がある。
 ま、期待する方が無理なのかな。
■毎日新聞/社説「大量破壊兵器報告 率直な反省があっていい」
 フセイン独裁政権を倒したことに意義を見いだす意見もある。報告書は確かに、イラクが経済制裁解除後に大量破壊兵器開発を再開する意図を持っていた可能性にも言及した。だが、国際社会が厳しく問われたのは、戦争前のイラクに「差し迫った脅威」が存在したかどうか、である。米政府がこの問題を離れ、「独裁政権の打倒」などを誇って戦争を正当化する論法に終始すれば、米国民の心も離れるだろう。フセイン政権崩壊後もイラクの騒乱は続き、民間人を巻き込んだ流血に出口は見えない。ブッシュ政権が言うように、「世界がより安全になった」とは言い切れないのだ。
 米英が国連査察を打ち切る形でイラク攻撃を始めたことも想起すべきである。開戦直前、国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は、イラクの核開発疑惑に懐疑的な見方を示した。国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のブリクス委員長(当時)も査察継続を訴えていた。それから1年半余り。結局、米国の調査団もIAEAなどの見解に歩み寄ったのが実情だとすれば、なぜ最初から米英は査察に時間を与えなかったか。戦争によって、おそらく何万もの犠牲者が出たことを思えば、無念と言うしかない。
 強い疑問は、日本の対応にも向けられる。今回のイラク報告書について、細田博之官房長官は、日本を含む関係国の「大きな責任論にはならない」との見解を示した。しかし、小泉純一郎首相は「(フセイン元大統領が)見つかっていないから、存在していなかったと言えるか」などと述べ、大量破壊兵器はいずれ発見されるとの態度だった。あると思った兵器がなかったのに、なぜ「責任論にはならない」のだろう。小泉首相は、イラク戦争を支持した理由を改めて説明する必要があるはずだ。
 ブッシュ大統領の説明も聞きたい。大量破壊兵器や治安維持の問題も含めて、イラク戦争には数々の見込み違いがあったはずだ。米国を取り巻く空気が、これほど冷え込んだ時代があっただろうか。単独行動主義への率直な反省なしには、冷えた空気を暖めることはできず、「テロとの戦争」を立て直すこともできない。

■朝日新聞/社説「大量破壊兵器――なかったからには」
 脅威の芽は先に摘んでしまおうという予防戦争は、そもそも差し迫った脅威への自衛と国連安保理決議に基づく武力行使しか認めない国連憲章に反する。
 いや、戦争になったのは、安保理決議を無視して査察を妨げ、身の潔白を証明しなかったフセイン大統領が悪いと小泉首相は言う。だが、これもおかしい。
 フセイン政権を擁護する気はまったくないが、米英が開戦の根拠とした一昨年秋の安保理決議は自動的に武力行使を発動するものではなかった。それは、米英が武力行使を明確にうたった新たな決議案を用意したことでも明らかだ。
 結局、新決議案は根回しの段階で安保理の支持を得られず、米英は大量破壊兵器の差し迫った脅威を理由に開戦した。その大量破壊兵器が実は当時存在していなかったのだから、戦争の正当性は全否定されたも同然である。
 戦争はフセイン体制を倒し、イラクの民主化に道を開いたのだからいいではないかと、ブッシュ大統領は主張する。
 だが、残念ながら、大規模な米軍の駐留にもかかわらず、イラクは安定に向かうどころではない。しかも、米欧の同盟は引き裂かれたままだ。だから安保理も機能を回復できない。
 国際社会が今迫られているのは、戦争をめぐる亀裂を修復し、イラクの再建に結束することだ。それには、米国が独断的な予防戦争の限界や開戦判断の誤りを認めたうえで呼びかけるしかなかろう。大量破壊兵器の問題に決着がついた今を、その転換点にできないものか。
 小泉首相は戦争支持の理由に大量破壊兵器の存在をあげ、「いずれ見つかる」と語ってきた。当時の情報は信頼するに足るものだったと今も言い張る。情報の誤りについて国民に率直に認めたブレア英首相の方がよほど誠実に見える。

 首相が居直る確率…99%


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