2004年8月17日火曜日

ドーピング五輪

��オピニオン]ドーピングの誘惑(東亜日報)
「真実を言ってほしい、ギリシアの血が凍った、聖火は消えるのか…。」ギリシアの陸上スター、コンスタンティノス・ケンデリス事件を扱ったギリシアの新聞の題目だ。4年前、シドニー五輪で金メダルを獲得した五輪の英雄、故郷であるレスボス島の村に「ケンデリス通り」と言う名前をプレゼントしたギリシア一の人気者が、瞬く間に「公共の敵」第1号となった。五輪聖火に火を付けると期待されていた彼だ。ところが、ドーピング検査場に現われる代わりに、開幕式直前、ガールフレンド兼訓練パートナーであるエカテリニ・サヌと一緒に疑問のバイク事故に遭ったのだ。ドーピング検査を避けるため狂言事故を起こしたのではないかとの疑惑を受け、「最もクリーンな五輪」を追求してきた開催国ギリシアの体面まで汚してしまった。
◆ドーピングは選手が競技能力を高めるため、興奮剤やホルモン剤など薬物を使うことを言う。薬物を使っても、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が2400回も実施する検査を通り抜けるのはたやすくない。なのに、何故選手たちはドーピングの誘惑から抜け出せないでいるのか。
◆答えは、「より速く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」という五輪モットーにある。このモットー自体が人間の限界に対する挑戦だ。ドーピングは陸上と水泳に集中される。サッカー、バスケットボールなど技術とチームワークが重視される競技に比べ、身体能力に大きく依存するからだ。2位には誰も振り向いてくれない激しい競争にも原因がある。米シカゴの医者、ボブ・ゴールドマンが米陸上選手198人に、「ドーピングをして5年間優勝しWADAにも引っかからない代わりに、薬物後遺症で死ぬとしたら、どちらを選ぶか」と聞いたら、半分がそれでもドーピングすると答えたという調査がある。
◆ドーピングが正々堂々と勝負を競い合うスポーツ精神に反するということに異意を唱える人はいない。しかし、より良い競技を追求することも、やはりスポーツ精神だ。薬物の害悪も、実はタバコとアルコールぐらいに過ぎないと主張する人々もいる。バイアグラを飲むといって愛に傷が付くわけでないのと同様に、最上の状態で競技して観戦の喜びを与えることを、何故無条件禁止しなければならないのかという反論もある。にもかかわらず、ルールはルールだ。「ドーピング五輪」でも別途に作らない限り、薬物なしに競技する五輪精神は遵守されるのが正しい。



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