世界の超大国、米国がこうまで自分本位で、自己陶酔型だと、世界との関係も難しくなる。世界も荒れる。
それは、アフガニスタン戦争とイラク戦争の報道でも見られたところだ。
米国兵の死傷者は事細かに放映されるが、相手国の一般市民の死傷者のことになるとほとんど報道されない。戦争が人々の暮らしにどのような影響を与えたのかにもそれほど関心が向かわない。外国人には基本的に関心がないのか、とつくづく思ったものだ。
すでに、反米主義が世界中に蔓延している。
アラブ、トルコ、イラン、欧州、ロシア、インドネシア、マレーシア、韓国、カナダ、ラテンアメリカ……いずこも反米感情が高まっている。
この夏、コロラド・アスペンの世界金融会議に出席した際も、ラテンアメリカの蔵相や中央銀行総裁の話題はもっぱらベネズエラのウゴ・チャベス大統領の国民投票での信任だった。
2年前、米国が裏で仕掛けたクーデターで追放されたが、2日で復帰。その後、反対勢力からの罷免要求。だが、「あちらにはご主人さまがいる。ジョージ・ブッシュという名前だ」と吠えるだけで蹴散らせた。
「反米を旗印にするだけで、かつてのカストロが持ったカリスマを持ち始めている」というコメントもあった。
民主党のジョン・ケリー大統領候補が「尊敬される国になろう」という米国ビジョンを掲げなければならないほど、米国は世界で尊敬されなくなりつつある。
冷戦後の一極構造、グローバリゼーションによる「一人勝ち」、「不可欠国家」自画像(クリントン政権のオルブライト国務長官)と「米国だけは特別」とのナルシシズムが高じたところへ、9・11テロに見舞われた。
この体験は、ネオコンの論客、ロバート・ケーガンの言葉を使えば、「米国人だけしかわからない特殊な痛み」となった。
あなたにもわかる痛みではなく、自分だけしかわからない痛み、を言い張れば、他者からの同情は得にくい。実際、米国は同情をたちまちにして失った。
もっとも、反米主義も光の当て方一つで、違った色に見える。
例えば、フランスでは、よく「米国は宗教国家であるから嫌い」と言われる。それが反米主義の大きな原因と解説されることが多い(実際、フランスの世論調査では78%が、「米国は宗教国家である」と回答)。
一方、ほとんどの中東諸国では逆に「米国が無宗教国家であるから嫌い」と人々は答える。反米主義の根底に、この社会の無宗教性がある(ヨルダンの世論調査では、10%のみが米国を宗教国家とみなしている)。
それでも、冷戦後、広がってきた反米主義には次のような共通した背景があるだろう。
��1)反米を叫んでも、かつてのような「容共」と見られる危険がなくなった
��2)地域統合を進めるため、外にある米国への対抗心、拮抗力を使うのが便利という側面(フランス、ドイツ、大陸欧州、ラテンアメリカに見られる)
��3)非民主的社会の独裁・強権政治指導者が自らの経済、イデオロギー、体制上の失敗から国民の目をそらせるために米国を生けにえの羊に使うやり方(中東の多く)
��4)グローバリゼーションによって規制秩序が変化を強いられ、社会、経済が急速に変化することに対する不安感と恐怖感からくる反米(世界の開発途上国の多く)
ひとことで言えば、反米のグローバル化である(ここの分析は、Rubin&Rubin,Anti Americanism Reexamined, World Affairs,Fall 2004に多くを負っている)。
中東諸国の「米国が無宗教国家であるから嫌い」ってのはどういうことだろう。ちょっと興味深いな。どういう文脈で使われるのか。
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