2004年8月30日月曜日

産経新聞/五輪・オリンピック

オリンピックを利用しようとする不届き者は為政者だけじゃないそうで、産経新聞が例によってオリンピックを政治的に利用している。ってか、もうネタとしか思えないんですが…
■産経新聞/社説「アテネ五輪閉幕 『家族力』が発揮された 日本選手の活躍を讃えたい」
 ≪共通する「厳父」の存在≫
 女子レスリング55キロ級を制した吉田沙保里選手は、全日本チャンピオンだった父親のレスリング教室で、三歳から鍛えられた。竹刀でたたかれながら世界一のタックルを身につけた。72キロ級で銅メダルを取った浜口京子選手も元プロレスラーの父親の指導を受けて強くなった。「金メダル以上のものを学んだ」「父の教えはすべて受け継いだ」と父に感謝した。
 柔道男子60キロ級で前人未到の五輪三連覇を果たした野村忠宏選手は、祖父の代から続く柔道一家に育った。女子70キロ級の上野雅恵選手や78キロ級の阿武教子選手も、柔道家の父親によるスパルタ教育を受けた。
 これらのメダリストに共通しているのは、「厳父」の存在である。吉田選手は「父は怖いが、母は優しい」と話していた。その父親の厳しい指導に、子供である各選手はよく耐えた。戦後日本人が久しく忘れていた伝統的な家族の姿を思い起こさせてくれたような気がする。
 女子柔道48キロ級の谷亮子選手は、結婚したばかりの夫で日本野球代表の谷佳知選手の応援を受け、「田村で金、谷でも金」の約束を果たした。女子レスリングで銀金を射止めた伊調千春、馨姉妹は励ましあいながら、練習を重ねた。彼女たちの健闘は、夫婦愛や兄弟愛の大切さを改めて示した。
 家族は社会を構成する基本単位である。近年、核家族化が進み、共働き家庭の増加もあって、家族の絆が希薄になり、それが家庭の教育力を低下させているといわれる。
 別に今回に限ったことじゃない。「家族」が目立ったのは、日本人がサイドストーリー好きで、家族愛ってのは「感動物語」を作るうえで格好の材料だから。
■「厳父」って言うけど、ようするに、小さい時からやってきた奴がそれだけ有利って話。この「厳父」ってのは、自分の価値観を子供に押し付ける親。ガキは厳しくないと、言うことを聞かない。それだけのこと。それをあたかも家族モデルの理想においていいものだろうか?結局、「父性の復権」を言いたいばっかなんですがね。おじさんたち、自分たちの既得権を守るのに必死なんです。
■「家庭の教育力を低下させている」状況下で、なにゆえ「メダルラッシュ」となったんでしょうね。
≪国旗・国歌に敬意払う≫
 オリンピックは、それぞれの国の伝統技術を競う場でもある。日本のお家芸だった体操の男子団体で、一九七六年のモントリオール五輪以来、二十八年ぶりに金メダルを奪還した。鉄棒の米田功選手ら三人は、小学生のころから大阪の体操クラブで練習した仲間だ。柔道では、外国選手の腕力にものをいわせたレスリングまがいの新しい技にひるまず、本来の投げ技や足技を駆使して倒した。
 「柔道王国・日本」が復活し、「体操日本」が復活の兆しを見せたのは、各選手が基礎・基本に立ち返って練習に励んだ成果といえる。
 同じ日本のお家芸である男子平泳ぎで、百、二百メートルの二冠に輝いた北島康介選手はスタート前、胸の日の丸に手を当てて競技に臨み、表彰台では誇らしげに君が代を口ずさんだ。女子八百メートル自由形を制した柴田亜衣選手は勝利を確かめると、コーチ陣から手渡された日の丸の扇子をスタンドに向けて振り、表彰後のインタビューで、「日の丸を見て、君が代を聞き、感激した」と話した。
 アテネ五輪では、総じて国旗・国歌に対する日本選手たちのマナーは良かったように思われる。健全なナショナリズムがこれらの若者たちの心に育まれていることが感じられた。こうした傾向が、スポーツの世界だけではなく、あらゆる分野に、自然に広がっていくことを期待したい。
 国旗・国歌に対するマナーって何だよ…北島のように、日の丸に手を当てたり、君が代を歌えばいいのか。産経さんは「マナー」が悪い人をチェックしていたのかな。福岡県久留米市教育委員会による「君が代」声量調査ばりにさ。で、素行の悪い奴は「指導」をするのかな…「愛国心が足りない!反日分子!」ってさ。
■柴田亜衣のセリフ…あれを聞いたとこで、これ保守派が使うんだろうなと思ったよ。柔道・体操は「伝統」を守ったから勝てたんだとか。
■「健全なナショナリズム」が育まれているねぇ…オリンピックでも、サッカーのワールドカップでもいいんですが、いつも言ってるんだけども、それって、ぬか喜びなんだよね。「スポーツだけですか?日本に関心を持てるのは!」というゴン中山の声は届いてなかったみたいよ?
■こちらも、同じく利用…
産経抄
 靖国神社が「戦没者追悼の中心的施設」であるのは当然と思うが、特攻隊の散華に熱い涙をそそいだのは“無頼の文士”といわれた『堕落論』などの坂口安吾(昭和三十年没)である。
 「戦争は呪ふべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思ふ」。彼らは基地では酒飲みでゴロツキで女たらしで死を恐れ生に恋々とした。「けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にさゝげる者を詩人といふ」。
 坂口安吾は『特攻隊に捧ぐ』と題した四ページほどのエッセーで、特攻隊の烈々たる「愛国殉国の情熱」に最大の賛美と敬愛をおくったのだった。いささか唐突になるが、アテネ五輪の日本メダリストたちには共通した対応がある。それは「みなさまに感謝します」という言葉だった。
 その感謝の心と言葉が、それを聴くわたしたちの胸に響いた。この「みなさま」のなかには、生きている人ばかりでなく死んだ人も含まれているはずだ。特攻の英霊たちは、いまの日本の平和と繁栄だけではなく“精神力”も培ったのである。
 すごいこじつけに、すごい解釈。特攻隊の英霊が精神力を培ったのだそうな…
■しかし、今回の「メダルラッシュ」をもたらしたのは、根拠のない「精神論」を排し、近代的なトレーニングを取り入れてきたことと指摘されてきた。そして、「国家のため」という重圧から解き放たれたから…とも。この主張に真っ向から立ち向かっているのが産経だ。


0 件のコメント: