2004年8月27日金曜日

長嶋ジャパン

■松瀬学「プロってなーに? 銅の“長嶋ジャパン”」(スポーツナビ)
監督不在で勝てるほど甘くない五輪

 かたや日本は、城島の言葉を借りると、「1試合も負けないで金メダルを取るんだという使命感」に縛られていた。選手はがんばった。これは首脳陣の戦略の問題である。

 で、ずっと抵抗があったのは、「長嶋ジャパン」という表現である。ジャパニーズ・メディアは何の疑問も抱かず、「長嶋ジャパン」を常用してきた。これって、やっぱり変じゃないのか。そりゃ、カリスマ長嶋さんがすごい求心力を持っているのは分かる。でもオリンピックは監督不在で勝てるほど甘くない。どの国も必死で準備し、データを収集分析し、監督の「これでいく」とのド迫力で戦うのだ。

 どこぞのスポンサー戦略に乗っかっての誇大広告みたいなものだったのでなかろうか。中畑ヘッドコーチが指揮を取ったけれど、選手はどちらを見ればよかったのだろう。
「監督不在でも勝てる」と思っていたとすれば、それこそプロではない。オリンピック、あるいは対戦相手、日本のオリンピアード(選手)に対する冒涜(ぼうとく)だったのではなかろうか。
 まさに私を含め、多くの人が思っていたこと。BLOGや掲示板では、このようなことは指摘されてきたが、専門家の口からはまるで出てこなかった。言ってはならない空気みたいなのがそこにはあったのだろう。


■敗北したので「長嶋ジャパン」批判が解禁になったのだろうが、テレビでは未だに批判が出てこない。「有終の美」といった言葉で誤魔化されている。「監督不在」を批判していたのは、耳にした中では、江本孟紀ぐらいか…さすが「ベンチがアホやから野球がでけへん」と言っただけのことはある。

■マスコミが「長嶋ジャパン」などと騒ぎ立て、なにやら「長嶋のため」という空気を作り出してしまった。お偉いさん方も長嶋を監督から外せなくなってしまった。では、なぜ長嶋が進んで辞任しなかったのか。戦犯探しのようなことはしたくはないが、結局、そこに行きついてしまう。

■あえて言うべきなのかもしれない…戦犯は長嶋茂雄である、と。


【関連記事】
フォー・ザ・ミスター
長嶋監督の英断?
五輪野球監督/長嶋茂雄→中畑清

【参考】
日本のスイッチ(毎日新聞2004年8月16日東京朝刊から)
五輪野球、「長嶋監督」を掲げたまま戦うのは?
いいことだ…43%
不自然だ …56%



俵孝太郎の辻斬り説法「長嶋監督を更迭しなかった事が敗因だ」(日刊ゲンダイ,2004年8月27日)
 ベンチのミスは明白だが、それよりなにより、真の敗因は「長嶋」にある。脳梗塞に倒れた時点で彼は当然、代表監督辞任を申し出るべきだったし、彼がその意思を示せる状態になかったとしたら、JOCは即刻監督更迭を決断し「長嶋」が選んだコーチ陣はもちろん選手もいったん白紙に戻して、新監督のもとで出直すべきだった。そうすれば、背番号3のユニホームが抜け殻のようにむなしくベンチにぶら下がる、指揮官不在の出たとこ勝負ではなく、なぜか軽視されていたウィリアムス対策を含め、的確な情報分析のもとで、戦略・戦術を練り上げた戦いができたはずだ。
 長嶋更迭ができない理由として、カネを出したスポンサーへの気兼ね説、黒幕から現場に至る長嶋人脈の保身説、ネコの首に鈴をつけるのをいやがる無責任説がささやかれていた。いずれにせよ「ナガシマ・ジャパン」は自爆に終わった、というほかない。




0 件のコメント: