2004年8月27日金曜日

日本:国連常任理事国入り

■朝日新聞/社説「常任理事国――安易になりたがるな」
 事は日本の針路にかかわる重大な問題である。いま常任理事国入りを表明するのはなぜなのか。首相はまず日本国民に説明すべきだ。

 つい先日のこと、米国のパウエル国務長官が「安保理の一員となり、それに伴う義務を担うというなら、憲法9条が今のままでいいのか検討されなければならない」と発言した。常任理事国入りの問題を利用して、米国の世界戦略のために日本の軍事的役割を広げようという意図が透けて見える。

 米国を支持し、行動をともにすることに熱心な小泉首相のことだ。そうした米国側の意図を知らないはずはない。

 イラクの復興支援活動などの「実績」を背に国際貢献をぶっても、他の加盟国から「米国票がひとつ増えるだけだ」と冷たく受け取られかねない。

 常任理事国入りが「悲願」の外務省は、首相が先頭に立ってくれれば心強いことだろう。日本は米国に次ぐ分担金を納めている。国連改革の柱の一つである安保理改革とからんで、常任理事国の枠が拡大されれば、日本には新たに加わる資格が十分にある。発言力を強化する絶好の機会、というわけだ。

 しかし大切なのは、常任理事国になること自体でなく、そこで何をするかである。それは常任理事国にならないとできないのか、逆に海外での軍事行動に道を開くことになりはしないか、といったことを冷静に考えて判断をしなければならない。

 日本は、経済協力や国連の平和維持活動(PKO)などで実績を積んできた。技術や教育の水準も高いアジアの先進国である。平和主義を刻んだ憲法は世界で高く評価されている。唯一の被爆国でもある。

 この特質を生かして世界の課題に切り込もうというのなら意味もあろうが、「とにかく常任理事国になりたい」というのでは困る。そんな外交は危うい。
 常任理事国に入れば、発言権が増す。仮にアメリカ追従であっても、日本の比重は大きくなる。ゆえに「国益」になる…とするのはやや問題がある。それには「責任」が伴う。厄介な仕事も増えるはずだ。諸刃の剣だ。冷静な議論が必要だ。


■中央日報/社説「日本の国連常任理事国入り、資格あるのか」
安保理の拡大・改編については、すでに国際社会で多様な意見・方策が出ている。その中には、現行の常任理事国が以前の勢力構図を反映していて、大陸別の代表性に欠けているため、第3世界・発展途上国・中小規模の代表国家が追加されるべきだ、との主張もある。

日本は、国際社会への寄与度と国連分担金の割合などをあげて、常任理事国入りを主張している。とりわけ最近になって米国の日本への依存度が高まる雰囲気に便乗し、こうした主張をさらに拡散させようとしている。

しかし、日本は第2次世界大戦の戦犯国家であり、集団的自衛権を排除する平和憲法を維持している。常任理事国入りは、必然的に日本憲法の改正を必要とする。これは、また、日本を戦犯国家に定義付けた国連規定を見直さなければならないことを意味する。日本が安保理常任理事国入りを目指すならば、日本帝国主義によって犧牲になった被害者・周辺諸国の苦痛に対する痛烈な謝罪と治癒の作業、心からの反省と行動が先行されなければならない。

日本は、機会さえあれば、侵略の過去史をわい曲し、従軍慰安婦問題などといった野蛮的な過去史について否認と無視で一貫してきた。最近になっては、首相が第2次大戦・A級戦犯の墓を参拝するのも定例化している。日本は、常任理事国入りを狙うのに先立ち、周辺諸国とアジアの友邦になろう、という意志があるのかどうかを省みるべきだ。

 トホホ…頭が痛いなぁ。まぁ、タカ派の連中のせいで、いつまでたっても過去を蒸し返されるわけだが。


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