■鈴木善幸元首相が死去 行革を推進、国鉄民営化に道筋(朝日新聞)
自民党の元衆院議員で元首相の鈴木善幸(すずき・ぜんこう)さんが19日午後9時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。岩手県出身。大平正芳氏の急逝に伴って後継首相に就任、80年から2年あまり首相を務め、行革・財政再建に取り組んだ。通夜は21日、密葬は22日。いずれも東京都港区西麻布2の21の34の長谷寺(ちょうこくじ)で行うが、時刻は未定。喪主は長男俊一さん。自宅は東京都世田谷区経堂3の10の6。
80年の衆参同日選挙のさなかの大平首相急死に伴い、大平派幹部で「大番頭」だった鈴木氏が7月、後継首相に就任。首相指名を巡る「自民党40日抗争」で深刻な亀裂の入った党内の融和を目指し、「和の政治」を掲げた。
政策面では大平内閣の行革・財政再建路線を踏襲し、「増税なき財政再建」「84年度赤字国債脱却」を公約に掲げた。臨時行政調査会(第2次臨調)を発足させ、歳出削減に取り組んだほか、国鉄など3公社の分割・民営化の答申を受け、道筋をつけた。
81年訪米の際の日米共同声明に「日米同盟関係」の表現を初めて明記。ただ、「日米同盟には軍事的な意味は含まない」との解釈を示し、対立した伊東正義外相の辞任に発展した。また、ワシントンでの記者会見で「シーレーン防衛」を約束し、日米共同研究に道を開いた。
82年の党総裁選で再選が確実視される中、「退陣することで党内の結束と融和、人心の一新を求めたい」と電撃的に表明。同年11月に在任期間2年4カ月で退陣した。財政再建などの公約実現が困難になるなど政策課題が行き詰まったことや、党内抗争が再燃する雲行きとなったことが理由とされた。
岩手県の網元の家に生まれた。漁協活動の流れから47年の総選挙で社会党から初当選。社会革新党をへて、吉田茂元首相の率いる民主自由党に移った。官房長官、厚相、農相、党総務会長などを歴任。福田内閣では農相として日ソ漁業交渉を仕上げた。通算当選16回。90年に政界から引退し、地盤を俊一衆院議員に引き継いだ。
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