2004年6月18日金曜日

多国籍軍参加

■多国籍軍参加表明について、首相が会見をしたが、「説明はたったそれだけ?」(東京新聞/社説)というのが感想なわけで、やはり、ブッシュ大統領の顔を見て「条件反射」(by岡田克也)で参加を表明したってことだろう。


■産経新聞/社説「首相会見 方向は正しいが説明不足」
 参加については支持するが、首相の説明は十分とはいえなかった。

 自衛隊の多国籍軍参加は初めてで、日本の安全保障政策の転換点ともいえる。これまでアフガニスタンでの多国籍軍の艦船に給油などを行い、イラクに自衛隊を派遣してきたが、多国籍軍の一員とは位置づけてなかった。憲法で禁じているとされる武力行使と一体化する恐れがあるからだった。

 今回は、「多国籍軍の統合された司令部の指揮下に入らない」ことを米英両国が了承し、これにより、イラク復興支援特別措置法の枠内での自衛隊の活動が担保された、としている。

 首相はこうした説明を行ったが、明解さを欠いていた部分も少なくなかった。航空自衛隊が米兵などを輸送する任務と多国籍軍の指揮との整合性についての質問に、「各国と協力する」というのでは答えになっていない。

 自衛隊の活動が憲法の枠内にとどまる根拠についても、イラク暫定政府のヤワル大統領からの自衛隊派遣の継続要請があったからだという説明では国民は理解できまい。
 で、この後「しかし、いま、イラクから自衛隊を撤退させて喜ぶのはだれであろうか。日米同盟を危機に陥れるだけでなく、世界的なテロに対抗する陣営を総崩れさせかねない。テロに屈した日本は侮りを受け、逆にテロのターゲットになる可能性すらある。その意味で首相の判断は間違っていない。」というお決まりの脅し文句が続く。産経の頭の中では「イラク支援=自衛隊のイラク滞在」しかありえないようだ。まぁ、ようは外国に軍隊を派遣したいだけなのだが。

■産経のもう一つの社説は「テレビ朝日和解 報道の責務を再考したい」であり、拉致被害者家族会や長崎の小六同級生殺害事件を挙げて「刺激的なタイトルをつけた映像に思わせぶりな効果音と思い入れたっぷりのナレーションをかぶせる。これを繰り返すと視聴者の判断に強い影響を与えかねない。」とテレビ批判している。だが、自身の「報道の責務」はまったく考えていないようだ。自身が支持したアメリカのイラク侵攻は検証しないのかい?それを「いま撤退したらイラクはどうなるのか」の脅せば、国民が納得するとでも?それこそ「説明不足」じゃないですか?


■ところで、小沢一郎がこの決断をどう評価するのか注目しているのだが。なぜ支持表明しないの?あるいは、どういう理屈でもってこれに反対するのだろうか。要チェックだ。ちなみに、今週の「剛腕コラム」(夕刊フジ連載)でも取り上げていない。このままだんまりか。

■ただ、今週の「剛腕コラム」は、小沢こそ自民党政治そのものじゃないか、と茶々を入れたくなるものの、まったくの正論。
 民主党の若手の議員諸君は「責任野党」という言葉を勘違いしている。

 俗に言う55年体制は、「何でも反対」の社会党がイデオロギーを盾にして自民党と不毛の対立を続けたように見られているが、これは事実ではない。55年体制を最も近い場所で見てきた者としていうが、自民党と社会党は地下茎で結ばれていて、難しい政治的問題はすべてタブーとして論議せず、ひたすら経済の復興ともうけた利益を配分することで完全に一致していた。つまり、自社両党はまったく同じ体質の政党だったのである。これは後に自社政権が成立した事を見れば明白であろう。

 ところが、若手の議員諸君は俗説を信じて、「健全野党であるためには、政府提案に一定の理解を示さなければならない」、つまり、「官僚のいうことに理解を示すべきだ」と勘違いしているのではないか。

 わが民主党は、官僚を頂点とした自民党型の権力体制や政官業癒着の政治体制、徹底的な官僚による管理社会に終止符を打ち、国民の代表である政治家を中心にして、戦後五十数年で限界に達した日本の政治・行政・社会の構造を変えていこう、と訴えているのにである。

 こうした勘違いが、国民に「一体何を考えているのか」「自民党と談合するのか?」などと、民主党の不明確さ、頼りなさを植えつけている。こうした勘違いや錯覚を払拭しなければ政権奪取など絶対に不可能だ。

 自民党と同じならば存在価値はない。基本的な考え方が違うから価値があるのだ。



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