■驚いたことに、あまり社説が扱ってなかった…「レーガン」を直接扱ったのは、大手では産経・毎日だけ。そんなものなのか…それぞれ「らしい」ところを引用。
■産経新聞/社説「レーガン氏死去 永遠に歴史に刻まれよう」
ソ連の共産主義の道義面での邪悪性を糾弾しながら、軍事面での脅威を同じ軍事で抑え圧するというレーガン大統領のこうした政策こそが、ソ連崩壊による東西冷戦の終結を招いたという因果関係は、後にソ連邦の旧指導者たちが認めるにいたった。ソ連の崩壊にはその他の種々の原因があったとしても、レーガン政権による正面からの対峙が明らかに主因だった。これは、現在の状況を意識して書いているのだろうか。北朝鮮を含めた「悪の枢軸」も、力でもって対峙することで崩壊させれると言いたいのだろうか。小泉首相とブッシュ大統領の関係、日米関係は「ロン・ヤス」に類するほど良好だと言われる。日米同盟をより強固なものにして、国際的地位を高めるべきと示唆しているのか。
その結果は、文字どおり、「悪の帝国」が崩れ去り、その民たちが解放された。人類の破滅にもつながりかねなかった全面的な核戦争の危機も消え、西側の自由と民主主義が東側へと広がった。だから、レーガン氏が二十世紀後半の世界史を変えたといっても誇張ではない。
レーガン大統領は東西冷戦のこの過程で日本を極めて重要なパートナーとして扱った。一つはソ連の脅威に備える防衛上の枢要な同盟相手として、もう一つは自由民主主義の価値観を共有する政治理念上の同志としてだった。その結果としての当時の中曽根康弘首相との連帯は「ロン・ヤス関係」と評され、難しい時期の日米関係の基盤を前向きに強化し、国際社会での日本の地位をも高めたといえる。
■毎日新聞/社説「レーガン死去 『強く信頼される米国』目指した」
内政・外交両面でレーガン路線に最も近いのがブッシュ現政権だ。イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだ02年一般教書演説や、政権内にレーガン主義者の新保守主義派(ネオコン)が少なくないことにも「レーガン路線の正統な継承者」を自任するブッシュ大統領の信条が示されている。産経の後のせいか、またまた毎日をほめたい気分になるが。
だが、80年代の国際環境と21世紀に入った今とでは少なからぬ違いも生まれつつある。
ブッシュ大統領は「前政権時代に米国の誇りと明確な目標が失われた」と訴えて当選したが、イラク戦争の過程では国連や欧州との深刻な亀裂を招き、国際的イメージを低下させた。
「力と対話」を掲げたレーガン政権は、戦域核ミサイル全廃や米ソ戦略兵器削減条約(START)を実現した。強硬路線を掲げながらも英仏、西独など欧州主要同盟国と協調と協力を絶やさず、北大西洋条約機構(NATO)の結束の下に対ソ交渉を進める基本姿勢を堅持したことが大きかった。
「強く、信頼されるアメリカ」であれば同盟国としても歓迎できる。強さだけでは同盟・友好国の支持を得られず、世界を変えることも難しいことにレーガン氏は気がついたのではあるまいか。
レーガン氏の業績に今日的意義を見いだすならば、強さと国際社会の信頼とを両立させようとしたことである。
レーガンの業績が「強さ」と「国際社会の信頼」の両立ねぇ…(それすら疑いたいところだが)。こちらも現在の状況を意識してますね。ブッシュ政権は「強いアメリカ」を体現しているが、「信頼されるアメリカ」とは程遠い。
そんなアメリカに抱きついているのが日本ですか。これはもう「ロンヤスの呪縛」ですよ。もう少し世界に視野を広げたい。EUはどうなっているのか。私は「ナショナリスト」だから、中国にアジアで大きな顔されるのが面白くないのだ。
■それにしても謎なのが、民主党の「秘策」だ。本岡昭次副議長による「散会宣告」がどうもそうらしいのだが、結局、野党が欠席したために与党にフリーハンドを与えただけだ。
本岡副議長は5日午前4時20分すぎ、2回目の休憩を終えた本会議を再開した直後、「これにて散会を宣告します」と声を張り上げ、議長席から立ち去った。議場内の野党議員も退席した。国会法117条の「議長は、議場を整理しがたいときは、休憩を宣告し、または散会することができる」との規定を根拠にした「散会宣告」だった。マヌケ …としか言いようがない。笑ったのが、記者に「これが秘策だったのか?」と問われると、「どういう意味?」と岡田克也(ジャスコ)がちょっとキレてたとこだ。あの猿知恵をどう総括するのか見物だ。それとも、空気を読んだうえでの「秘策」だったりしてね。国民のしらけムードを感じ取って、これ以上やってもしょうがないって思ったのでは?
ところが、衆院ならば可能な散会が、参院ではできない仕組みになっていることを見落としていた。参院議事規則82条は「議事日程に記載した議事を終わったときは、議長は散会を宣言することができる」と定めている。つまり、議長が散会宣告できるのは議事がすべて終わった時点で、それ以外の場合は延会手続きしか取れないことを意味している。本岡氏は事務当局の静止も聞かず、同規則に反する宣告をしてしまったことになる。
■内閣支持率はガクンと下がるかもしれない。しかし、それが民主党支持に回ってくるということもないだろう。
◆追記(6月8日)次の日、他の社説もレーガンに言及した。
■朝日新聞「レーガン氏――大きな遺産とその限界」
いま、唯一の超大国となった米国の身勝手な振る舞いに、欧州同盟国は眉をひそめる。イラク戦争をめぐって露呈した欧州との亀裂も、表面上は取りつくろえても、本当の融和は簡単ではない。やはりそうきますか。
富める国と貧しい国の格差も広がり、戦争と減税が米国の財政赤字を膨らませる恐れを、米国民自身も感じている。
世界が米国に期待しているのは、腕力を振り回すことではない。その影響力を生かして、テロ対策や南北問題、地球環境の保全、大量破壊兵器の拡散防止などで国際協調の核となることだ。
日米も「ロン・ヤス」以来の流れに身を置いたままでいいか。世界によかれと考えるなら、米国への苦言も恐れない。それが同盟国に求められる時代だ。
■日本経済新聞「レーガン氏がことさら偉大に見える」
冷戦構造が消滅し、唯一の超大国になった米国の基礎は、いまにして思えばこのレーガン時代に築かれたものである。強く、豊かな米国は地球的規模で各地域の繁栄と安定のために貢献を続けてきた。しかしながら、レーガンの申し子を気取るブッシュ大統領には、国民的人気も国際的な信頼感も不足している。何よりもレーガン氏は優れた部下にめぐまれ、大統領と一体になった米国の「意思決定マシン」は強力だった。そうかもね。
中曽根康弘首相(当時)、サッチャー英首相(同)との保守主義トリオは、わが国が国際舞台で常に脚光を浴びたという意味でも重大なことであった。イラク戦争以降、米国を見つめる世界の目は冷たく、厳しい。そのことが逆にレーガン氏の偉大さを際立たせている。
■読売新聞「[レーガン死去]「歴史に刻まれる冷戦勝利の意義」」
その意味で、レーガン氏が日本にもたらした果実も大きかった。「一部になお五五年体制の残滓を引きずってはいるが」って、一番引きずってるのは、なにかあればすぐ野党に「社会党」というレッテルを貼る読売なわけだが。
冷戦の終結で、自民党と社会党の対立を基軸とする保革対決の政治構造が、音を立てて崩れ始めた。共産党でさえ、旧ソ連体制を「歴史的巨悪」と言わざるを得なかった。社会党は九四年、日米安保体制堅持、自衛隊合憲を公式に表明、やがて歴史の舞台からその名を消した。
一部になお五五年体制の残滓を引きずってはいるが、親ソ反米運動は過去の遺物になった。
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