2004年6月26日土曜日

参院選

改革の意味問う一票を
高橋伸彰(立命館大教授)
朝日新聞
改革の意味問う一票を
 小泉内閣が進める「構造改革」は「努力した者が報われる社会を作る」と言う。このフレーズにひかれる国民こそ、高い支持率を支える隠れた要因かもしれない。それでも、努力に応じた報いを受けていると実感する者は意外と少ない。実際、努力が足りないから自分は報われないと納得する者より、こんなに努力をしているのになぜ報われないのかと不満を抱く者のほうが多数派ではないか。
 そんな不満を解決してくれるのが「構造改革」だと聞けば、現状に不満を抱く人々が内閣を支持するのはある意味で当然だ。逆に言えば、高い支持率を維持するためには、社会の不満を鎮めるより、むしろ放置しておくほうが好都合かもしれない。そう考えると、野党が小泉内閣を攻めるのは予想外に難しい。なぜなら、構造改革の成果が出ていないと批判すれば、原因は「構造改革の遅れ」にあると見られ、野党の思惑とは裏腹に一層の改革推進を求める世論が支持に回ってしまう。
 この「返り血」的な構図に真っ先に気づいたのが自民党内のいわゆる「抵抗派」だったのではないか。それが事実なら抵抗派が「協力派」へと早々に変身した理由も理解できる。
 それでは、今更「協力派」になれない野党はどうすればよいのか。中途半端なマニフェストを提示するより、誰もが「努力すれば報われる社会」なんてそもそも作れないと批判に徹するのも一案だ。ほとんどの「競争」における報いは各自の努力よりも順位に応じて決まる。
 しかも、順位は自らの努力だけでは決まらず、競争相手の力や、時々の運、さらには勝敗や優劣を判定する人たちの判断によって大きく左右される。その真偽は、努力よりも運で誕生した小泉政権が熟知しているはずだ。
 実現不能な「構造改革」のキャッチフレーズに惑わされている限り、多くの国民は努力という「痛み」だけを強いられ、報いという「成果」はますます一部の勝者に集中する社会が作られていく。


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