2004年4月11日日曜日

イラク人人質事件と自己責任の原則

■産経抄
 共産党や社民党など、ある種の人びとは“いわぬこっちゃない”といわんばかりに、テロリストをではなく、日本政府を批判する。「それみたことか。日本人が人質になったのも自衛隊のイラク派兵のためだ。政府は責任をとれ」と、まるで本末転倒である。
 誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。イラクでは日本人外交官も殺害されて治安悪化は深まっていた。外務省は再三、最高危険度の「退避勧告」を行ってきたのである。
 三人のうち一人は週刊誌に写真や記事を売り込むフリーのジャーナリスト、もう一人もフリーライターの若者。女性だけはイラクの子供たちへのボランティア活動に従事していた。同情の余地はあるが、それでも無謀かつ軽率な行動といわざるをえない。
 確かに、国家には国民の生命や財産を保護する責務はある。しかしここでは「自己責任の原則」がとられるべきだ。危険地帯に自らの意志で赴くジャーナリストにはそれなりの覚悟が、またNGO(非政府組織)の活動家らにもそれぞれの信念があったはずだからである。
 二十七年前、ダッカの日航機ハイジャック事件で日本は「人命は地球より重い」と、テロリストに身代金を払って過激派赤軍を釈放した。あの国際的な批判を浴びた“苦い教訓”を忘れることはできない。日本の世論も少しずつだが成熟しているはずである。

 昨日の読売の社説よりも明確である。危険なのを知って行ったんだから自業自得である、と。まるで雪山で遭難する奴は捜索する必要がない、死ぬ覚悟はできてたんでしょ?っていわんばかりだ。
 う〜ん、この自己責任論をどう評価すべきか。「“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ」と言う。今回、人質に取られたのが自衛隊員だったら、いったいどうなったのだろう。産経は「いわぬこっちゃない」と言ってくれるだろうか。
■産経新聞社説
自民党役員会では「再三の退避勧告にもかかわらず、人質三人はなぜイラクに入ったのか」などの疑問の声が出た。テロリストがはびこる世界ではリスクがつきまとうことを忘れてはならないだろう。どの地域でもテロが起きるという心構えを持たねばならない時代である。

■読売新聞社説
今、自衛隊が撤退したら、一体、どういう事態になるのか。 結果的に武装勢力をますます勢いづかせるのは間違いない。武装勢力が誘拐を効果的な手段と見て、同様の事件を他国にも仕掛けることになりかねない。

まぁ、昨日書いたが、これが自衛隊撤退がありえない理由だ。
朝日新聞ですら、
 私たちはイラク戦争に反対し、自衛隊の派遣にも反対してきた。これは今も正しいと考えている。恐れた通り、米国主導の占領はうまくいかない。衝突の拡大で、自衛隊の撤退に踏み切らざるを得ない時期は遠くないかも知れない。
 そもそも自衛隊を派遣していなければ、こんな事件も起きなかっただろうと考えると、いたたまれない思いだ。

と前置きを置き、何が何でも自衛隊は撤退させないという、単純な「テロに屈するな」論との主張とは異にすると強調するが
 それでも、人質を盾に他国の国民や政府を脅すやり方は、どうしても認めるわけにはいかない。脅迫を受け入れての撤退には応じることができない。つらい選択だが、私たちはそう考える。
 もし今、ここで犯人たちの脅迫を受け入れたらどうなるだろうか。「日本は無法な要求に弱い国だ」というイメージを広げ、同じような人質事件を誘発しかねない。他の国を標的にした犯行に弾みをつけてしまう恐れもある。
 自衛隊の派遣は、その是非はともかく、日本が法律に基づく手続きをへて決めたことである。それがこうした卑劣な手段でねじ曲げられることは、やはりあってはならないことだ。

イラクの治安悪化を見れば「撤退」を考えるべきだが、人質事件とは切り離して考えるべきだと主張している。


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