2004年4月22日木曜日

イラク邦人人質事件/自己責任と国家の責任

■自己責任――私たちはこう考える(今日の朝日新聞社説)
 誘拐された5人の状況認識に甘さがあったことは否めない。とくに、激しい戦闘が続いていたバグダッド周辺の安全確認は不十分だった。危険地での活動を考えるうえで、今度の事件が残した教訓は大きい。
 だが、与党内を中心に声高に語られている過剰な「自己責任」論には、首を縦に振るわけにはいかない。
 政府の退避勧告を無視してイラク入りしたこと自体がおかしい、という議論がある。「自業自得」だ、救出費用は彼らに払わせろ、という声さえある。
 各国政府が自国民に出す退避勧告は確かに重い。だが、それに従っていては報道の使命や人道支援がまっとうできないことも、紛争地ではいくらでもある。
 人質の家族が、犯人が解放の条件とした「自衛隊の撤退」を政府に求めた。それを批判する人々も「自己責任」論をあおった。「助けを求めながら国に逆らうとはどういうことか」という主張だ。そんな感情論は不幸と言うしかない。
 この人質事件には、日本の国際的な評価を高めるのに役立った面もある。「外国へ人助けに行こうという世代が日本に育った」。仏紙ルモンドはそう報じた。「あんな連中を助けることはない」といった声が同じ日本人から聞かれる状況には寒々しい思いがする。
 言わずもがなのことではあるが、外国にいる自国民の保護は、どこの民主主義国でも政府の責務である。とくに、正体不明の武装組織に人質にとられれば、救出のために政府が果たさなければならない役割はいっそう大きくなる。
 政府にとって都合の良い人物であろうがなかろうが、それは同じことだ。
 「自己責任」という言葉が飛び交っている。
 この言葉は、家族が自衛隊撤退という「政治的発言」に対し、それを封じ込めるために登場した。読売・産経にもそれが見て取れる。
 自衛隊撤退を求める声を殺すという政治的目的のために…数十億もの血税を投入したという憤りのために…リスクを冒してNGO活動や報道などをする人への軽蔑のために(それをしていない自己を正当化するために)…そういった思惑が「自己責任」という大きな波を作り出し、被害者たちに押し寄せている。
 そうした政治的思惑は功を奏した。被害者家族に対して誹謗中傷がぶつけられ、帰国した人質や家族は、そうした声におびえた。ただただ謝罪と感謝を繰り返すばかりで、自衛隊に関する発言も消えうせた。
 日本は判官贔屓(はんがんびいき)の国で、社会的弱者に同情する性質があるらしい。
 今回も、最初は涙ながらに訴える家族に「かわいそうだ」と同情した。ところがその後、「自己責任」論に一気に振れた。これは弱者が主張をし始めたからで、弱者は弱者でも「強い弱者」を日本人は好まないからだ。
■国家の責任 小泉流『自己責任論』がかき消した
 各種世論調査によると、イラク邦人人質事件について、約7割が小泉政権の対応を支持している。政府の危機管理が問われる事件でありながら、矛先を被害者の「自業自得」に向けることで、巧みに世論を操ったともいえる。だが、個人の「自己責任論」が世間を覆う中で、見過ごされ、かき消されそうな「国家の責任」もある。
邦人人質事件そのものについては、多くの与党幹部が「危険地帯に入った無謀な人たち」を政府あげて救出する「迷惑」の大きさを強調してきた。しかし、そもそも政府は人質解放のために水面下で有効な救出策を打てたのか。疑問の声は多い。解放されたのは、人質になった人たちが占領や自衛隊派遣に反対だったというのが第一の理由。
 イラクの聖職者協会の人が言った「日本政府から働きかけはなかった」が本当だと思う。政府はバタバタと救出策をとり、逢沢一郎外務副大臣がアンマンに行ったりしたが、本当の交渉をやった形跡はない。
 小泉首相が来日していたチェイニー米副大統領にファルージャ停戦を申し入れたかの報道もあるが、本当であれば、米国のメディアはそう報道するだろう。停戦の継続は(米国の政策上)独自に決まった話で、小泉首相が関与したように言われるのも世論操作だ。
 
 むしろ小泉首相は人質事件の発生当初、武装グループを「テロリスト」呼ばわりしたことで、イラク国内の反日感情を刺激し、解放を遅らせたとも伝えられる。
 
 結局、人質解放の決定打は、人質がイラクの敵ではなかったからだし聖職者協会の人たちの理性のようだ。実際、解放されたフリージャーナリストの安田純平はNHKのインタビューで、政府の対応に謝意を表しながらも、「(イラクと)日本の歴史に救われた」と率直に語った。
政府は機密を盾に解放までの経緯を明かさない。だが、漏れ伝わってくるのは有効策よりも無策ぶりだ。
 政府が困っているのは打ち寄せてきた請求書の処理。例えば、ヨルダンは(解放に向けた情報提供や協力の見返りとして)約二千億円に上る債務の帳消しを求めてきた。日ごろから情報がなく、役に立たないルートまでボタンを押しまくったツケ
こうした政府の対応には多くの疑問符がつく。本来なら「責任論」も噴出しかねないが、世論は小泉内閣を後押しする結果となっている。
17、18日に読売新聞が行った世論調査では人質事件についての政府の対応を「評価する」が74%に上った。自衛隊のイラク派遣を「評価する」人も60%で、一月の同様調査の53%を上回ったという。内閣支持率も「支持する」が59・2%で三月調査より増えた。
本当は、イラクには非戦闘地域などない時期で、小泉首相は窮地にあった。ところが、人質事件で出た自己責任論が、逆に小泉首相や政府を利する結果となり、自衛隊派遣をも合理化する結果となった
 政治の駆け引きの中で人質事件が論じられ、自己責任論が出たため、自衛隊の派遣が正しかったのか、国際社会の中でどういう意味を持つのかという議論が隠れてしまった。特に、人質家族が、政治の土台に乗るような形で、『自衛隊撤退』を言うと、そこに世間の非難が集まった。本来、人質問題とは距離を置いた自衛隊派遣反対の意見にまで『人質家族と一緒になって騒いでいる』というような逆風をもたらす構図ができてしまった
自衛隊の撤退という問題が、国際的な政治問題の中でなく、国内政治の問題として出てきた。小泉首相にすれば、家族の置かれた状況を利用し、逆に『自己責任』を出すことで自らの責任をすり替えることに成功した


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