2004年4月14日水曜日

「プロ市民」と「自己責任の原則」

■産経抄…ふたたび自己責任論
 しかしイラクは“超危険地帯”とし最高の「退避勧告」がたびたび出ていた。それを無視していた三人の無謀と軽率さに対して、テレビ会見をみている限り、家族の側に自覚も反省もないようである。そのあたりに違和感を覚える人も少なくないのだ。
 責任はそういう「個」と「公」のけじめの欠如を、そのまま情緒的にたれ流している報道にもあるだろう。それが国民の“ちょっと違うなあ”という感情を増幅させているのである。家族たちは「日本は直ちに自衛隊を撤退して下さい」と性急に要求する。
 しかし「個」がとるべき自己責任をそっちのけにし、「公」が下した政治的決断をひっくり返せばどういうことになるか。それより何よりテロリストの脅しに屈すれば、日本の国際的声価や国際社会の一員としての責任はどうなるか。そういうことへの思考が全く欠落している。

■読売新聞社説
 人質の家族の言動にも、いささか疑問がある。記者会見で、公然と自衛隊の撤退を求めていることだ。
 人質の安全を望むのは、家族として、当然だ。だが、武装グループの脅しに応じ、政府の重要政策の変更まで求めることが、適切と言えるだろうか。
 日本は容易に脅迫に屈すると見られ、日本人へのテロや誘拐を誘発する危険がかえって増大する。
 事件の再発防止にも努めたい。
 政府は、昨年来のイラクからの「退避勧告」に加え、今年だけで十三回も注意喚起の情報を出し、民間人の退去を求めている。三人は事件に巻き込まれたのではなく、自ら危険な地域に飛び込み、今回の事件を招いたのである。
 自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である。

 まぁ、家族が外務省職員を怒鳴っていた映像は、このような意見を勢いづかせることとなろう。ネタか本気かは定かではないが、2chでは3人は「プロ市民」とレッテルが貼られ、この「自業自得!」が散見される。
 子供が国(自衛隊)のために死ぬのが正しい、と考えることを保守派は望むのかもしれないが、家族が自衛隊撤退を望むのは当然である。
 この「自己責任の原則」…それなりの説得力を持つが、その一方で、国民を守らずしてなにが国家だ、という見方も有力だ。
 自衛隊撤退はありえないにしても、「自己責任だから」と非難(あるいは、見捨てる)ことは「人道」に反するし、国家のあり方として間違っている。少なくとも、なぜ今か。理解に苦しむ。
■産経新聞社説
いま、誘拐された三人の家族が、自衛隊の撤退を求める政治的な発言をすることは、誘拐犯に取引の余地があるような錯覚を与えかねない。家族の圧力で日本政府が譲歩すると誘拐犯が考えれば、解放を長引かせて不安をあおる逆効果を生むだろう。まして、日本国内の平和団体がこれに便乗する動きは、誘拐犯を利するだけである。

間違ったことは言っていない。現在の「自衛隊撤退を!」という抗議活動はテロリストを勢いづかせるだろう。3人の人質によって、日本で撤退論が大きくなったという「誤解」を与えかねない。
■NEWS23>筑紫哲也>多事争論12日「人道と人命」
 日本人の3人が人質になってるわけでありますけれども、危ないところに3人に対する安否に大きな気がかりを示している人が沢山いるんですが、その一方では、危ない所に出掛けた方が悪いんだと、あるいは政府の自衛隊派遣に賛成してない事を言い立てる人達もいます。
しかしながら、そういう事以前に自国民を守るという事は、一つの国家にとっての最優先の課題であるはずであります。そして、その事は、本人がたまたまその国で生まれたとかそういう事を関係なしに優先されるというのが、そもそも国家の在り方だろうと思います。テロに屈しないというだけを言っているだけでは、問題は解決しないわけでありまして、その曲げられない自衛隊派遣というのは人道復興支援だといいます。しかし、人道的な措置をする対象はイラク人、はっきり言いまして日本人ではありません。その人道のために自国の人の人命の方が見殺しにされるというような事になれば、これは本末転倒と言わざるをえないと思います。

 言いたいことはわかる。が、問題の本質には答えていない感が残る。「イラクのために人道支援するぐらいなら、まずは日本人を助けよ」と言いたいのだろうが、もっともではあるが、民主主義に基づいた政治的意思決定が、人質を取るという暴力行為によって捻じ曲げられてよいのか?今後も同様の事件が起きたらどうするのか?
 そもそも、イラクに自衛隊を派遣したのは、自国民を犠牲にしてもイラクの人道支援をする、という政治的判断が前提として存在したからだ。


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