■プライベートな日記を書いていたら、それが膨らんでしまって、どうしようもない雑文↓になってしまった。
■「どん兵衛で年越し」
大晦日、家に来ていた友人が、コンビニに買い物に行った時に、「どん兵衛」を買ってきてしまい、それを食うはめになった。2004年の幕開けというのに、「どん兵衛で年越し」をする始末。初っ端から出鼻をくじかれた気分だ。
「どん兵衛で年越し」は日清食品のキャンペーンだが、言葉の響きからしてマヌケに思えるし、「ヤマザキ 春のパンまつり」級に参加したくないキャンペーンである。
「年越しそば」を食うことはいいとしても、それが「どん兵衛」(「赤いきつね」でもいい)だったら事態は深刻だ。
まず、この伝統的な慣行と、化学調味料のミスマッチはなんだ。録音してある念仏を流して供養するぐらいおかしなことなのだ…って、よい例えが見つからなかったけど、つまりそういうことだ。
100円均一に並んでるぶんざいで「さらにエビでか、後のせ仕上げ」などとぬかして、神経を逆撫でさせる。ミクロなエビに注目したことなどなく、「さらに」って言われても、ちっともピンとこない。だいたい、この程度のエビで「エビでか」などと大きな顔をしていられる神経がわからないじゃないか。
「サクサク天ぷら」って、このやろう、俺をバカにしているのか。それを袋から取り出して「後のせ」する者の気持ちなんて、これっぽっちも理解していない。
「環境ホルモンはどうなんだ?」と思わせる容器に、お湯を線のちょうどのとこまで入れる。なぜなら、「熱湯を内側の線まで注ぐ」と指示されているからだ。そんな僕に「品質にこだわりの丸大豆」となぐさめられたって何になるってんだ。なおさら惨めになるだけだ。
お湯を入れて3分間じっと待つ。この待たされている間の「せつなさ」はただごとではない。NHKの「ゆく年くる年」で坊主がゴ〜ンと鐘を突いていればなおさらのことだ。
それにしても、いったいどのツラして「どん兵衛」を買ったんだろうと思う。コンビニの店員に「こいつ、さてはどん兵衛で年越しする気だな」と悟らてしまいかねない。そんな恥かしい思いをするのはご免だ。こんな時期にバイトしてる者にとっては、さぞ励ましになったと思うが、「どん兵衛」でもせめて「うどん」を買うぐらいの抵抗があってしかるべきだ。
■上の文書は、「どん兵衛で年越し」という資本主義的洗脳が、いかにおかしいかを世に問い、資本主義社会における搾取の構造・疎外された労働を浮き彫りにすることを目的としている(嘘…ってわざわざ書く必要はないか)。憎むべきは、友人でも「どん兵衛」ではなくて、自分にあるということはわかっている。卒論を書かねばいけないのに、こんなデタラメな文章を書いてしまい、つくづく反省している。
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