2003年12月1日月曜日

奥さんの遺志 -外交官殺害プロパガンダ

岡本行夫首相補佐官 ―イラクで外務省・奥克彦参事官の殺害に関して。
「奥氏には1つの夢があった。国連本部爆破を見て、奥参事官は『これを見て引くことが出来ますか』と言っていた。私は、奥氏のやりかけたことをやり遂げたい」
「奥参事官」が「奥さん、時間!」に聞こえてしょうがない。いったい何の時間なんだ。
コホン…
小泉首相の外交ブレーンである岡本行夫は↑のように述べ、奥氏の遺志を引き継ぎ、イラク復興支援に全力を挙げる考えを示した。
岡本の操り人形と化している川口順子外相も「亡くなった二人の遺志を受け継いで、テロに屈することなく、イラクの復興支援に積極的に取り組むというわが国の基本方針が揺らぐことはない」と語っている。
「殉職」を遂げた者は神聖化され、その「遺志」は大いに利用される。読売新聞や産経新聞もきれいに足並みをそろえる。
読売は…
「奥参事官は、外務省ホームページの連載コラム『イラク便り』で、テロで犠牲になった数々の尊い命から、テロに屈しないという『強い決意』を汲み取るべきだ、と書いていた。日本が積極的な支援に動くことこそ、任務半ばで、無念の死を遂げた二人の外交官の遺志を継ぐことにもなる。」
…と主張しているし、産経も…
「亡くなった奥克彦参事官(45)は、外務省のホームページに四月下旬以来、『イラク便り』を送り続けていた。合計七十本にも及んだ『イラク便り』の11月13日付の便りには、イラク南部のナシリヤでイタリア国家警察部隊がテロの襲撃を受け、さっそく現地の調査に飛んだことを書き、『犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの闘いに屈しないと言う強い決意ではないでしょうか。テロは世界のどこでも起こりうるものです。テロリストの放逐は我々全員の課題なのです』と結んでいた。今から思えば、これが奥参事官、そして井ノ上正盛書記官(30)の日本人への遺言となった。」
…と「遺志」を振りかざし、説得をこころみている。なぜ「愚かなブッシュ大統領の外交政策による、日本人最初の被害者」と書かないんだろう。
あいかわらず、小泉純一郎首相は「テロに屈してはならない。」と勇ましい。まぁ、他人の「抵抗」「痛み」を見ると異常なまでに興奮するサディストだから、わかりやすいっちゃぁわかりやすいのだがね。
「イラクに自衛隊派遣を決めて、安全というなら、売れないタレントまがいの息子と行けばいい」と田中真紀子は罵倒したが、多くの国民はまさにこの気持ちではないか。
「イラク復興特別措置法の『非戦闘地域』という概念が、いかに現実離れをしたものであるかがより明白になった」(毎日新聞)のであり、「たじろぐな、さあ派遣だとなっていいはずはない。そもそも派遣の目的は人道支援や復興への協力であって、ゲリラやテロを制圧するためではない。そんな短絡した考え方は、泥沼への道につながりかねない」(朝日新聞)のである。
「短絡した考え」の産経新聞は「一部にはまた、イラクでのテロは、テロというよりレジスタンス(抵抗運動)だという議論も出ているが、テロリストたちの卑劣な暴力を正当化しようというもので、論外である。」と言っている。
「レジスタンス」論とは、たとえば、本多勝一の「風速計−『テロ』は当然である」(『週刊金曜日』11月28日発売)がそれに当てはまるのだろう。
「これはアメリカ帝国の侵略に対するレジスタンスであり、アルジェリアの独立戦争としての『アルジェの戦い』に近くなってきた。ベトナムを侵略したフランスやアメリカに対する解放戦線の戦いを『テロ』と称するのがいかに馬鹿げているか」
「アメリカ帝国の武力はケタ違いであり、地球始まって以来の圧倒的な質と量です。これに対抗する方法として、何がありますか。いまマスコミがいう『テロ』。これ以外に有効な方法が、何かあるか?」
「『テロ』は当然」と言いきらないまでも、こういう視点を忘れてはならない。これはイスラエルとパレスチナを見るうえでも重要な視点である。
一方を「テロ」と呼び、絶対的な悪と決め付けるのでは公平性に欠ける。少なくとも、「論外」とあっさりと却下してしまうようでは、「テロ」は続くのではないか。
じゃぁ、どうすればいいの?ってわけで、やや説得力に欠けるが、朝日は「復興支援を練り直せ」と言っている。
「米国は国連をはじめとした国際機関の役割を、なお限定的なものにとどめようとしている。当面は米軍が治安維持を担うにせよ、いま進めるべきは一日も早いイラク側への主権の移譲と、国連を中心にした国造りへの協力だ。武装勢力の大義名分を失わせ、復興や民主化に対するイラク民衆の意欲をもり立てなければならない。首相は日米同盟とともに国際協調も大事だと言う。日本には独自に築いた中東外交の実績もある。ならば、米国にものを言いつつ、イラク復興と反テロ協調の旗を振ることはできるはずだ。ブッシュ政権の要請に基づく自衛隊派遣だけにとらわれた狭い視野から抜け出さなければならない。それが本当の意味でテロに対抗し、イラクの復興に資することになるのではないか。復興支援が進むような確かな土台を国際社会とともにつくる。それが、亡くなった二人の遺志を生かすことに通じる。」
最後が特におもしろかった。やはり決め手は「遺志」である。
今問題になっているのは、「遺志」をどうやって自分の考えにこじつけるか、である。
■故・奥克彦氏の遺志は「国連中心主義」?
奥参事官は『外交フォーラム』11月号において、「イラクの戦後復興における国連の役割」という論文を書いているようだ。詳細はわからないが…
「国連だけは自分たちを本当に助けてくれる存在だ、と大半のイラク人は受け止めている。『米国一極の世界では、国連は米国の支持なしには無能の存在だ』との批判があるが、イラクの暫定統治、憲法に基づいた政府の樹立における国連の役割は大きい」
…と語っているそうな。この「遺志」は国連主導の復興支援に結びつける根拠になる?


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