2003年4月6日日曜日

バカ女/数取団/クイズ・マジオネア

■選挙の季節のようで、選挙の放送がやかましい。中島義道は『うるさい日本の私』という著書の中で、「騒音も環境破壊じゃないか!」と環境保護を訴える候補者に対し指摘している。まぁ、そうもいいたくはなりますねぇ…

■しかも、候補者たちは、あぁいう空虚な言葉を連呼することによって票が得られると考えているのだろうか。もちろん時間の制約があって、抽象的な演説になってしまうのはやむをえない面もあるのだが…ちょっと選挙民をバカにしてないかい?あるいは、票を取るために握手をするのもバカにしている。握手をすれば親近感を感じ投票するだろう、と思っているのだ(実際、それで投票する人もいるようだが)。

■イギリスのジョークに「支持する政党の候補者ならば、それが豚であっても私は投票する。もっとも、豚の方がマシな場合もあるが。」というのを聞いたことがある(うろ覚え)。つまり、有能か無能かに関わらず、政党の候補者に投票するというのだ。これこそ議会制民主主義というもののように思える。実際、一人の候補者が当選したからといって、自分の政策を達成できるわけではないのだから。

■しかし、現在の日本でそれができるかと言えば、それは無理である。自民党内でも民主党内でも個々の候補者と実際の政策の乖離がはなはだしいからだ。もっと「マニュフェスト」といったものの浸透が必要だろう。

■『めちゃイケSP』を見る。「モーニング娘。」に岡女・期末テストと称して、「バカ女」を決定するというもの。勉強してないアイドルの実態なんてものは知りたいとも思わないし、おもしろ回答というのだが、明らかに狙っている者もおり、どこを笑ってやればいいのか。岡村のイジリもかなり無理があったような…

■番組の構成は「モー娘。」を三分割し、間に「数取団」と「クイズ・マジオネア」を挟んでいる。まぁ、「モー娘オタク」を引きつけるための苦肉の策なんだろうけど、僕からしたら「そんな引っ張るようなものか?」という印象が残りました。

■結局、「バカ女」は辻に決定したわけだが、あの映像はいかがなものか。辻は泣いていたよ?…本人は泣きながらも笑っていたけど、番組制作サイドとしては辻の珍回答を笑わせようとしたんじゃないの?「笑い」は欲しくなかったのか?視聴者が涙を見ることで、あれが「イジメ」に見えたり、同情したりすると、笑えなくなるのでは?(まぁ、そもそもくだらなくて笑えないけどね)あそこは休憩を取って、泣き止んでからの方がいいんじゃないか。もっとも、辻の涙で数字さえ取れれば、笑いが減ることや苦情が来ることは甘受しますって発想なのかもしれないが。

■昔の「めちゃイケ」ってもっとおもしろくなかったか?と今更ながら思った。そもそも、「数取団」や「クイズマジオネア」なんてものは全く笑えないんですよ。

■「数取団」なんてものは本人たちが楽しんでるだけで、ちっともおもしろさが伝わってこないし、僕はリアクション芸が嫌いだ。知られてはいけない「写真」を罰で貼られるというのだが、結局は視聴者にはモザイクがかかって見れないわけで、視聴者は芸人のオーバーなリアクションを見て「きっと知られてはまずい写真なんだな」と予想して「楽しむ」しかない。これは「ピー」という放送禁止の効果音と同じで、視聴者は「きっと、すごいことを言っている」と察して「楽しむ」しかない。そういうことが楽しいという人はそれでいいんだけど、これほど視聴者をバカにした手法はないと個人的には思います。

■「七人の侍」の罰ゲームは、野武士が袋叩きにするものだった。このことで「いじめを助長する」との非難を浴びて、めちゃイケ側は屈服した。「数取団」では「力士と相撲を取る」という「スポーツ」を持ち出すことにより非難をかわす工夫をした。番組サイドとしては「してやったり!」なんだろうが、両方とも「つまらない」という点では進歩は見られない。

■「マジオネア」…みのもんたの誇張という面ではやむをえないのかもしれないが、岡村による毎度の顔芸もしつこい。それに芸能人の「秘密」なんて興味ねぇよ。そもそも、この「秘密」ってのがかなりどうでもいいことばかりだ。それを「勘弁してくれよ〜」という過剰なリアクションやクイズ形式にすることで粉飾している。この日は和田アキ子が夫に「私を抱いて!」というのが口癖、という「暴露」だった。和田アキコの普段「演じている」キャラのギャップが笑いどころなんだろうが、「だからどうした」としか言いようがない。

■「めちゃイケ」は個々のタレントよりも、作家の企画が面白かったという気がしたんだが…やっぱ、単発の企画よりも、安易に「数取団」や「マジオネア」、あるいは「クイズ浜口おさる」といった定型のコーナーしてる方が楽なのかなぁ…なんてことを素人ながらに思った次第です。


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