2003年4月25日金曜日

子供の活字離れ

■最近、英語を少しがんばって勉強している。
■自慢じゃないが、かつて大学受験をバリバリの現役でたたかっていた時は、英語の偏差値は突出して高かった。それが今では見る影もない。で、大学院に行ったり、留学を考えているわけだから、ブランクを埋める必要が出てきたわけだ。
■大学受験に使っていた参考書を取り出してみると、もうダメですね。基礎的な単語や熟語ですら、忘れちゃっているものがある。なんだか大学受験で得たものがことごとく無駄になっている気がしてくる。こんなことならバイトの家庭教師を続けていればよかった…なんてことまで考えてしまう。
■まずは単語やイディオムを思い出す作業をしている。その手助けとなっているのが、ベクターで無料で入手したPCの単語帳ツールだ。これが便利なんですね。僕の場合は字が汚いから手書きの単語帳はそもそも見ることさえ嫌になるが、この点パソコンはよい…しかも入力も速いし、ウェブ上からコピペして取り込むことも可能だ。また、正解・不正解によって出題頻度が変わってくるという優れものだ。これで経済に関する英単語も学習中。
■その一方で、ネットの英字を読むことにしている。朝日、毎日、読売、ジャパンタイムス、NHKなどが便利だ。また、リスニングはラジオのビジネス英会話、リスニング入門をやっているし、ときどきNHKのテレビ・ラジオの英語ニュースも聞くことにした。リスニングの方も深刻だ。
■J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』が売れているらしい。ただただ村上春樹による新訳というだけで…おそるべし、村上春樹。というか、そもそも最近の若い人はどういう物語かということさえ知らないんじゃないかとも思うのです。まぁ、僕もそうだけど…家にはあるんだ、英文のやつが。いつか英語の勉強がてら読もうと思って、古本屋で100円で買ったけど、まるっきり読む気配はないなぁ。
■たまたま読売新聞の社説を見ていると、「学校図書館の充実が急務だ」なんて文字が飛び込んできた。子供の活字離れ…なんてことが言われつづけているわけだが、社説では、学校図書館の蔵書が乏しいことにその要因を求めている。たしかに図書館の充実というのは大切なことであろうが、それをすれば子供が本を好きになると思ったら大間違いである。そもそも図書館を利用しようなどと思う子供は、もともと本好きであるわけで。
■これは子供の「運動不足」「外で遊ばない」ということにも通じるものがあるのだが、現代の子供たちには数多くの魅了的な物に囲まれているわけで、かつてのように「本」や「外で遊ぶこと」だけに子供たちの興味を集中させることは不可能だ。しかし大人たちは、「本」や「外で遊ぶこと」の面白さを子供たちにいかに伝えるかを苦心するわけだが、様々な物に興味が分散することはまったく自然なことだ。
■では、大人が想定するような「いい子」を作り出すための解決策はあるのだろうか?一つは、子供が目移りしそうな物をすべて取り除くことである。これは社会主義にでもなることが有効な手段となろう。もう一つは、強制的に本を読ませたり、運動をさせる時間を増やすことだ。こうすれば、物理的には、本や運動に費やす時間を確実に増やすことができる。
■後者の選択肢は、従来ならば、子供たちが自由時間にしていたことだ。これを学校の授業に取り入れようというのだから、学力の低下は避けられない。学力低下の問題が深刻になり、大人たちはこれに対処しなければいけなくなる。
■結局、家庭で過ごす時間が問題になるわけで、親の役割に依存せざるをえなくなる。「いい子」を作り出したいのなら、テレビゲームなどという子供を誘惑する物を与えないようにし、外で遊ばせて、本を読ませ、塾に通わせればいい。「活字離れ」「体力低下」「学力低下」という現在の時代は、親によって子供の質が変化するような、昔以上に不平等な時代なのかもしれない。
■「子供の読書には、家庭における読書環境が大きく影響しているが、読書活動を家庭にだけ任せるのは無理がある」と読売新聞の社説は言っているが、これは嘘である。子供の自由時間こそが重要であり、「いい子」を作り出すには、親は子供の自由を奪う必要があるのだ…テレビゲームなどに貴重な時間を「(大人の視点からして)浪費」しないためにも。なんだか、嫌な感じですね。


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