2003年3月27日木曜日

イラク戦争の大義

■テレビでは、新たな情報が出てくるわけでもなく、似通った報道ばかりがなされており、正直、うんざりである。これは、どの局も大本営発表をそのまま報道しているからだろう。両陣営のプロパガンダ合戦など興味ないっす。

■しかし、この戦争について考える必要があるわけで、小林正弥『非戦の哲学』(ちくま新書)でも読もうと買った。そのうち読む予定。あと、来月は『世界』でも買ってみようかとも思っている。いろんな論者の意見を吸収して、自分の考えをまとめてみたい…時間が許すなら。(ってか、春休みに卒論を仕上げるなんてことを言っておいて、全く手をつけていないぞ!やばッ!)

■「反戦」を訴える者は「戦争」以外のオルタナティブを考える必要がある。もちろん僕らが考えたところで「反戦デモ」と同様、まったくの無力だ。しかし、「反戦」と言って抗議の意志を示すだけでは、思考停止に陥ってしまう。とにかく考えるしかない。そこから何が生まれるかはわからない…その先にあるのが「無力感」だけであるとしても、そこから得るものが必ずあるはずだ。いや…何も得られなくてもいい。そもそも、「考える」という行為自体、僕は好きなんだ。「人間は考える葦である」らしいし。

■「武力行使」が正当化される場合とは何だろうか?典型例としては、ソマリアやルワンダへの武力行使が挙げられる。目の前で行われる非人道的な行為に対して、ただただ傍観していることは許されまい。それでは「大量破壊兵器を持っている」ことが「武力行使」を正当化するのか、というとこのへんはかなり曖昧になっている。よく指摘されることだが、アメリカこそ大量破壊兵器を持っているのだ。大量破壊兵器の拡散を阻止するのが「大国」の役目というのなら、イスラエルはなぜ許容されるのか。

■「9・11」へのショックを利用し、「大量破壊兵器がテロ組織に渡る可能性がある」と恐怖心を煽っている。たしかに、そういう「恐れ」はあるにしても、だからといってその「恐れ」だけで「武力行使」をしてしまってはいけない。なぜなら、それは「妄想」かもしれないからだ。アメリカ人は「サダム・フセイン」への憎しみと「テロへの恐怖」が結び付いて「戦争支持」ということになっているのだろうが、「イラク」と「テロ」を結び付ける根拠など全く明らかになっていない。ブッシュ政権によって強引に結び付けられただけだ。証拠もないのに武力行使を認めてしまえば、アメリカは気に入らない政権を「言いがかり」によって転覆させることが可能となってしまう。

■結局、イラクを攻撃する正当性などない。

■考えることはたくさんある。帝国・アメリカをどうするのか?国連をどうするのか?日本とアメリカとの関係をどうするのか?正当性がないにもかかわらずアメリカに付き合うのか?独裁政権に対してどう向き合うのか?テロをなくすにはどうするのか?…など。

■正当性がないにもかかわらずアメリカに付き合うのか、という問いは、「国益」と「理念」の選択を迫るのだろう。いわゆる「保守派」が分裂するのはこの問いが「踏み絵」になっているからに他ならない。いわゆる「左派」が分裂しないのは、「国益」という概念がそれほど重きをなしていないからであろうし、仮に「国益」という観点からみても「アメリカ追従は日本のためにもならない」と考えるからであろう。

■日本の外交の柱は、?対米外交?国連中心主義、であるが、どちらが重要かと二者択一を迫ることほどナンセンスな質問はない。だって、「国連中心主義」って言ったって、その「国連」が弱すぎるんだもん。前にも書いたが、極論を言えば、現在の国連は第二次世界大戦・戦勝国のための体制だからね。

■「アジア外交」を疎かにしてきたツケがここに来ている…とする見方が「左派」では有力だ。本来、この三つのバランスを取るのが日本外交のはずだが、「アジア外交」が全く抜け落ちていた。「反米」でありながら、他の選択肢を捨ててしまう人というのは、ここで「軍事増強」や「核武装」によって「抑止」などと言い出す。

■しかし、「アジア外交」という選択肢も、しょせんは「理想論」になってしまう。というのも、日本は「大東亜戦争・肯定!」とわめき散らす人々を抱え込んでしまってる現実を無視しているからだ。この人々が存在する限り、日本が韓国・中国から見て信頼にたる国となることは不可能である。「左派」の言うような「アジア」との連帯は非現実的と言えないだろうか。

■おおむね大東亜戦争肯定するような人というのは韓国を「反日ナショナリズム」と非難するが、僕から言わせれば「どっちもどっち」で、似た者同士である。しょせん、彼らが言う「ナショナリズム」も反韓国・反北朝鮮・反中国だ。

■結局、僕自身、何がなんだかわからなくなってしまった。日本外交って何だろう?アメリカ追従、国連への過剰期待、アジア外交の妄想…になるのか。ちなみに、軍事力増強は論外である。それがもたらすのは、孤立だけで、それは外交政策の放棄に他ならない。難しい問題だ。どれも危ういからこそ、三つのバランスを取り、互いを補完していく…と言えば当たり障りがないのだが、それはあまりにも空虚な選択だ。自分の中にある混乱を何とかしなくてはいけない。そのうち整理して、別のところにまとめておこう。そのためには、もっと他の意見を吸収しなくてはならない。

■思ったことを突発的に書いたから、↑の文章に方向性はないんだけれども、まぁ、僕がどのような問題意識を持っているか、という点は伝わったとは思う(?)。これを読んだ感想でも送っていただけると、幸いです。


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