■「タマちゃんのことを想う会」なる団体がニシタマオ氏を「北極圏の海に帰すため」に捕獲を試みた…らしい。結果は逃げられて失敗。このことについて、ファンで作る「タマちゃんを見守る会」会長の田中保男さんは「タマちゃんに特別に変化がないのに、独断で捕獲するのはおせっかいだ」と語った…らしい。
■めでたい人はいるものである。めでたい人ってのは、団体を作るなど群れをなす…なぜなら、一人でやるにはあまりにもバカな行動であり、皆でやれば怖くない(バカじゃない)とでも思っているのだろう。今回の「タマちゃんのことを想う会」の行動は、「見守る会」会長が言うように、人間の主観に基づく勝手な「解釈」をしているにすぎない。しかし、「タマちゃん」を「見守る」というのも「おせっかい」であることに気づくべきだ。「タマちゃん」は「見守って」と親切心を要求していないのだから。
■タマオ氏が「はぐれアザラシ」である理由はそう簡単にわかるものではない。人間の主観から脱することは不可能ではある。様々な解釈が成り立つ。たとえば…「ケッ、こんなバカアザラシどもとはやってらんないね」「俺は元来、一匹アザラシさ」とはぐれて来たのかもしれないし、「僕は寒いの苦手なんだよ」「僕には、雪ばっかりの田舎よりも、環境汚染のひどい都会が似合うのさ」と思っているかもしれないのだ。
■「想う会」は「タマちゃん」を「拉致」しようとした、という解釈をすると、「想う会」から異論がくるかもしれない。そもそも、先に「拉致」したのは、横浜の方だ。勝手に住民番号を付けた上に、「はぐれアザラシ」を「お前の住所はここだ」と住所を帷子川に決め付けた。挙句の果てには「ニシタマオ」という奇想天外な日本名を付けて公民化を図ったのだ。北朝鮮もビックリの「拉致」である。
■じゃぁ、私は「想う会」という団体を認めるのか、と言えばそうではない。彼らに問うべきは、ペットや動物園の動物の方がもっと深刻な「拉致」ではないか?ということだ。彼らは「故郷」から強制的に隔離され、自由に移動することすらできないのだ。この点は「ニシタマオ」氏とは大きく異なる(ニシタマオ氏の来日は自己責任の域だ)。他の深刻な「拉致」には目を閉じて、注目を浴びた「拉致被害者」だけ「故郷に帰してやれ」というのは全くおかしい論理だ。そして何より、この世は人間中心に回っている、という事実に気づくべきだろう。
■「マリンアニマル・ライフライン」という海洋動物保護をしているNGOが手伝ったらしい。「動物保護団体」ってのをどうも好きにはなれない。一番に保護されるべきは「人間」だと私は思うのですよ。貧困で困る「人間」はいくらでもいるわけです。彼らが動物に費やした資金を「人間」という「動物」に保護してはどうか?「海洋動物」の方がかわいいから、「人間」は保護しないのだろうか?「動物愛護」「人間のエゴ」なんてことを言っても、しょせん、彼らの行動原理も「自己満足」によるものだ。
■NHKのニュースを見ていたのだった。フランスが安保理の拒否権行使を示唆、北朝鮮が拉致被害者の訪米を非難、株価が三日連続のバブル後最安値更新…ときて、「タマちゃんが突然、網に挟まれました」って…お前は何を言い出すんだ、しかも真剣な顔して。で、画面上にはニシタマオ氏が汗をかいて「困ったなぁ」という感じのイラストが出されている。きっと、「あぁ、タマちゃんもとんだ災難だったな」と思わせたいのだろう。
■それにしても…私ほど「タマちゃん」のことを考えている人も珍しいと思うのです。そのついでといっては何ですが、「タマちゃんのことを放ったらかしにしておく会」(タマちゃん放置会)を立ち上げたいと思うのです。この会は「想う」や「見守る」という「おせっかい」を排し、「タマちゃん」の意志を大事にし、放っておきます。「タマちゃん」そのものは見ずに、メディアや周りの人間環境の監視を行います。会員募集中。
■株価がえらいことになっている。前にも書いたかもしれないが、うちは父親が働いておらず、株に依存しているので、非常に打撃を受ける。経済危機が深刻だが、金子勝は元気だ。今日、朝の番組に出ていたが、ほんと生き生きしていやがるのでした。
■朝日新聞襲撃事件をおこした「赤報隊」の犯罪が時効を迎えた。朝日新聞は特集を組んでいた。その中に、西尾幹二と四宮正貴の名前があった。さすがに、知識人・言論人として、西尾は「靖国に対する侮辱」と犯人を非難している。その一方、「新しい歴史教科書を作る会」の事務局の放火騒動も批判すべきだ、と言う。ふむ、こんなところだろうな。で、四宮の方はすごくて、犯人について全く批判せず、「反日」の朝日新聞の「偏向報道」はますますひどいものになっており、もっと非難を浴びることとなるだろう、と脅している。
■右翼が軽々しく使う「反日」という意味がわからないじゃないか。日本にとって不都合な報道をする、これは「反日」になるのか?だとしたら、「報道」や「言論の自由」というものをなにもわかっていない。戦前の反省から「権力監視」の役割がメディアには求められる。しかし、彼らにとっては、そもそも反省することがないのだから、そのようなものは必要がないのだろう。
■「友人」として、アメリカの悪いところは正すべき…よく耳にする言葉だ。同様に、日本を「愛している」からこそ、悪いところは正すべき、なのだ。彼らのいう「愛国」とは、日本を盲目的に愛することを意味し、それは「ミーハーなファン」である。そして、そうなれない者に対して「反日」というレッテルを貼る。
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