小泉純一郎首相は29日、天皇陛下が学校での日の丸掲揚と君が代斉唱について「強制でないことが望ましい」と発言したことに対する認識を記者団から問われ「ごく自然に受け止められたのでは。私もそう思う。あまり政治的に取り上げない方がいいんじゃないですか」と述べた。ウェブを見る限り、読売や産経はまったくふれていない。「強制でないことが望ましい」は政治的発言とは考えていないからなのか、それとも不都合な「陛下のお言葉」は完全にスルーってことだろうか。
東京都の公立学校で日の丸掲揚の際に起立しなかった教職員が処分されたことについては「それは都が決めたことですから」と言及を避けた。
■東京都教育委員会の問題は、極めて政治的な問題だ。それを推進している人物に対して、「強制でないことが望ましい」と発言する…これが政治的的発言でないというのは妙な話だ。あるいは、そう解釈される余地を残していることに問題はあるのではないか。不毛な解釈論争に陥って、厄介な火種を作っているだけだ。
■「本来なら強制でないことが望ましい」と含みを持たせているわけでもないし、どうも意図的に「政治的発言」をしたように思えてならない。しかしまぁ、陛下のお叱りを受けて、米長邦雄は面目丸つぶれだよな。そして、この人も…
■石原知事、都教委は強制じゃない(共同通信)
学校での日の丸掲揚、君が代斉唱をめぐり、天皇陛下が将棋棋士で東京都教育委員の米長邦雄氏に「強制でないことが望ましい」と発言したことに関連し、石原慎太郎知事は29日の定例会見で「都教委のやっていることは強制じゃない」と述べた。
都教委は「学習指導要領に基づき入学式、卒業式などを適正に実施する」として、教職員が日の丸に向かって起立し君が代を斉唱するよう求める指針を策定。2月以降、職務命令に従わず起立しなかったなどとして教職員243人を懲戒処分にしている。
石原知事は「国が決めたことを公務員として、義務として行うか行わないかの問題。一般的に強制するしないの問題とは違う。そこは混同しないでもらいたい」と強調した。
陛下の発言自体については「やりとり、ニュアンスは、そばにいたわけではありませんから。それ以上のコメントは差し控えたい」と語った。
■今回の発言を政治的発言かどうかにくわえて、さらに新たな論点?
■天皇発言で民主代表が「何も言えないのはおかしい」 (朝日新聞)
民主党の岡田代表は29日、天皇陛下が園遊会の席上、国旗・国歌問題で「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と発言したことについて「陛下も人間ですし、当然いろんなお考えをお持ちですから、何も言えないというのはおかしいと思う。一般論として申し上げるが、自由に自分の考えが伝えられるような方向に持っていくべきじゃないか」と語った。視察先の横浜市青葉区で記者団が「天皇の政治的発言という声もあるが、どう思うか」と質問したのに答えた。なんか妙な方向に進んでません?天皇に人権がないのは当たり前じゃないっすか。自らの地位向上について問題提起するためにこの発言をした…なんて陰謀説は可能?
今回の天皇の発言については、「天皇は国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とする憲法4条との関係で問題視する声も出ている。宮内庁は「政策や政治に踏み込んだものではない」と否定している。
■「イラクの自衛隊派遣はおかしい」とか「日米同盟は大事」とか言う天皇…やっぱりまずいっしょ。もし今後、西村眞吾みたいな天皇が出てきたらどうします? 「陛下のお墨付きを得たぞ!」ってわけで、北朝鮮にミサイルをぶち込みますか?
■朝日新聞/社説「国旗・国歌――園遊会での発言に思う」
話題となった一因は、国旗・国歌問題で天皇陛下ご自身が発言したことがきわめて異例だからだろう。しかし、その内容は政府の見解の通りだった。政府見解の範囲内ならば問題ないということなのか。だが、小泉首相が「それは都が決めたことですから」と答えているように、これは政府というよりも、東京都との関係で問題になるのではないか。
国旗・国歌法が99年に成立したとき、当時の小渕首相は「児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」と国会答弁した。当時の野中官房長官も「強制的に行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく努力が必要」と答えている。
宮内庁は陛下の発言について「政策や政治に踏み込んだものではない」と説明した。憲法は天皇について「国政に関する権能を有しない」と定めているが、細田官房長官も「憲法の趣旨に反することはない」と述べた。
いずれも妥当な判断だと思う。
今回の場合、波紋の原因はむしろ、米長さんが国旗・国歌のことを持ち出したところにあるのではないか。ははは…ごもっとも。
米長さんが委員を務める東京都教育委員会は、今春の都立校の卒業式で国旗を飾る場所や国歌の歌わせ方など、12項目にもわたって事細かく指示し、監視役まで派遣した。そして、起立しなかった250人の教職員を処分した。処分を振りかざして国旗の掲揚や国歌の斉唱を強制するやり方には、批判も多かった。
国旗・国歌のように鋭い対立をはらんでいる問題は、天皇の主催行事である園遊会の場にふさわしくない。
米長さんの発言に対して天皇陛下があいまいな応答をすれば、そのこと自体が政治的に利用されかねない。陛下が政府見解を述べたことは、結果としてそれを防いだとも言えよう。
米長さんの発言は「教育委員のお仕事、ご苦労さまです」という陛下の言葉に答えて飛び出した。国旗・国歌問題を意図的に持ち出したかどうかはわからない。もし意図的でなかったとしても、軽率だったと言わざるを得ない。
東京都の石原知事は「天皇陛下に靖国神社を参拝していただきたい」と述べている。靖国参拝は外交にも絡む大きな政治問題だ。とても賛成できない。宮内庁が慎重な姿勢を示したのは当然だ。天皇を利用して、靖国を権威付けしようなど、「不敬」にもほどがある。
■参考までに…石原慎太郎「陛下、お願いいたします」(『日本よ』産経新聞2004年8月2日)
そしてその内なる大きな作業のために、敗戦六十周年の来年にこそ、八月十五日に天皇陛下に靖国神社に参拝していただきたいと熱願する。
昭和天皇は戦後においても過去八回参拝を遂げておられる。その後ことさら靖国神社参拝の是非にからめて、隣国たちからの日本の近代史批判等情勢の変化もありはしたが、今日の日本国民の内的な危機感とその克服への熱望という、外からは見えにくい大きな意識の流れを踏まえれば、日本の元首である天皇が、あくまで一人の日本人としてまず私的な参拝を行われることで、日本人の意識に新しく大きな火が点されるに違いない。
ちなみに、同じ人間であられる天皇が私的行為として行う参拝は、もろもろの学説は別にして、判例では民事責任の対象となりえないということは確立している。後は天皇御自身、今日の国家社会の態様を眺めて、自らの行為の国家にとっての歴史的効用を考えられての御判断に依るだけである。
天皇自らが日本人にとって垂直の情念にのっとった垂直の価値観の体現を、参拝という行為で示された瞬間、我々の内にしみじみと、しかし大きく蘇るものがあるはずである。それを眺めれば、歪んだメディアも外国の論評もすべて淘汰され沈黙するに違いない。
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