2004年9月23日木曜日

新聞社説/国連常任理事国入り

■毎日新聞/社説「首相の国連演説 常任理入りの理念なぜ語らぬ」
 だが、肝心の演説の中身は奥歯に物が挟まったような官僚的な語り口に終始した。
 「平和に向けたグローバルな貢献は、平和と繁栄に向けて尽力する国際社会において名誉ある地位を占めたいと考える日本国民が大切にしている根源的な信念に基づくものです」
 「わが国の役割は、まさに安保理の権限である国際の平和と安全の維持において、一層不可欠なものとなってきています」
 これでは日本が常任理事国になって何をしたいのかよくわからない。むしろ小泉首相が1カ月ほど前に記者団に語った話の方がわかりやすいし、メッセージがよく伝わってくる。
 首相は「今の常任理事国は全部、核兵器を保有し、海外で戦闘行為も辞さない国々ばかりだ」と指摘し、「日本はあたかも同じことができる常任理事国になるような表明をすべきではないというのが私の立場だ」と述べていた。
 憲法の精神を堂々と掲げて国際社会に貢献したいと常任理事国入りの決意表明をするはずだったのに、首相は演説でそのことに触れなかった。
 PKO(国連平和維持活動)やODA(政府開発援助)など国際協力の実績は強調したものの、平和憲法のもとで活動する新たな常任理事国像を加盟各国に訴えなかったのも残念だ。
 国民に十分な説明がないまま、いきなり国連で決意表明したのも理解に苦しむ。
 首相はこれまで常任理事国入りに慎重または否定的な発言が多かった。通常国会の施政方針演説でも国連改革の必要性にわずかに触れただけだ。それに比べれば、大きな方針転換だ。なぜ常任理事国入りするのか。その場合にどんな責任が生じるのか。自分の口で丁寧に国民に説明すべきだ。
 「憲法の精神を堂々と掲げて国際社会に貢献したい」というのなら、日本が常任理事国入りする意味があるのだが、他国には、アメリカがもう一票手に入れるとしかうつらないのではないか。
■朝日新聞/社説「小泉演説――常任理事国を語るには」
 積極的に世界の平和に貢献する日本。小泉氏が語るわが国の像は、方向性としては好ましい。日本は巨額の分担金で国連を支えてもいる。国連の改革が必要なことも、言うまでもない。常任理事国をめざすこと自体は間違いではない。
 だが、この演説が世界の人々の心にどれだけ響いたか、はなはだ心もとない。何より、目下の国連の危機に、日本自身がどう対処しようとしているかが語られなかったからだ。
 国連は、各国の利害や理念がぶつかり合い、調整されてはじめて動く。発足以来、その国連を機能させてきた大きな力が、米国と欧州の結束と協調だった。
 ところが、9・11後に加速した米国の単独行動主義は米欧の連帯を壊してしまった。安保理がイラク再建の青写真を描いた決議を採択したものの、多国籍軍への参加が広がらないのは、その一例だ。安保理決議の空文化である。
 小泉政権は国連のこの危機を救うために、米国と欧州に対してどれだけの働きかけをしてきたろうか。イラク戦争を強く支持し、その後も欧州世論やアナン氏が求める「法の支配」を軽んじてきたことで、むしろ、手足をみずから縛ってしまったと言えるだろう。
 その現実と「強い国連を」と言う首相演説が何ともうまく重ならない。

■読売新聞/社説[常任理事国入り]「21世紀の日本外交を築く課題だ」
 国連加盟国は、創設時の五十一から百九十一にも増えた。にもかかわらず、P5は六十年近くたっても同じ顔ぶれである。大きく変化した国際情勢を反映しない安保理では、新たな事態に的確に対処することはできない。
 日本などが常任理事国に加わることが安保理の活性化に不可欠だ。国連の正統性と実効性を高めることになる。安保理を改革して平和維持・創出の成果が上がれば、日本の国益にもかなう。
 常任理事国入りの実現に、国内では憲法改正問題、対外的には困難な国連外交という、高いハードルが控えている。
 一つは憲法の問題だ。首相は「改正してもしなくても、常任理事国としてやっていける」と述べている。
 だが、自衛隊をどこまで活用するかについては、集団的自衛権など憲法改正問題に関する議論が欠かせない。
 現行憲法下でも、国際平和協力活動の幅をかなり広げることができる。「持っているが行使できない」とする集団的自衛権の政府解釈を、首相が自らの政治判断で変更すればよい。その上で、実際に自衛隊をどう活用するかは、政策判断に委ねるべき問題である。
 やっぱ憲法を変えたいみたい。アメリカの外圧を利用しつつね。常任理事国になるべきだ→憲法改正が必要…だとさ。
想像がつくけど、韓国の論調…
■日本の常任理事国入り 道徳的障害を乗り越えなくては(朝鮮日報2004/09/22)
 実際に、今年の日本の国連分担金280万ドルは、米国の363万ドルに次ぐもので、他の常任理事国4か国の分担金合計220万ドルよりも多い。発展途上国への政府開発援助(ODA)も、年間約100億ドルに達し、米国に次ぐ第2位である。国連の平和維持活動にも多くの経済的・軍事的支援を行っている。
 にもかかわらず、日本が常任理事国になる十分な資格を備えているとは言いがたいのが現状だ。現在の常任理事国である米国やロシア、中国、英国、フランスは、第2次世界大戦の戦勝国としてその資格を獲得したのが事実だ。しかし、単に戦勝国であるからではなく、その戦争がファシズムという世界悪を相手にした道徳的戦争であり、この善悪の対決を勝利に導いたという道徳的名分がその基底に横たわっているのである。
 つまり、日本の安保理常任理事国資格審査においても、日本の国力と国連に対する経済的な寄与のみならず、道徳的姿勢が問題にならざるをえないのである。しかし、この道徳的基準については前世紀に日本が起こした戦争被害国だけでなく、相当数の日本国民もあっさりとは同意しがたいはずだ。
 小泉首相が隣国の批判を尻目に、第2次世界大戦のA級戦犯が合祀された靖国神社を堂々と参拜し、それを日本の伝統と慣習として合理化しようとしているのが、その証拠である。
 日本が世界政治で主導的な役割をし、そのためには国連の常任理事国入りが必要だとしても、その資格基準は日本自らが名乗り出るよりは、日本から被害を受けた国々が世界の現実を国連に反映するため、あるいは日本から道徳的更生意志が見られ「もう日本が常任理事国になる時期だ」と支援してくれる環境を作り、そうした段階を踏むことが順序と言えるのである。
 「道徳的」ねぇ…ちょっと頭を抱え込みますね。百歩譲って、戦勝国側における第二次世界大戦が「道徳的戦争」であったとしよう。さて、では現在の常任理事国のなかに、「道徳的」と呼べる国が一つでもあるのか? この「常任理事国」なる既得権を引きずっている限り、「国連改革」など不可能じゃないか。


0 件のコメント: