■産経抄
サッカー反日応援騒動は英BBC放送なども“中国人の暴動”として報道し、一種の外交問題となっている。日本人の多くは憤ったり、あきれたりだろうが、小欄はヘソ曲がりだから少し別の見方をしている。あれは日本にとって歓迎すべきことだったのだ。
▼なぜなら、北京のスタジアムの騒ぎによって、世界が中国人の生の姿や共産中国の現実を知ってくれたから。もっといえば、歴史や靖国や尖閣諸島問題における対日要求の理不尽さも知ってくれただろうからである。
▼国歌演奏へのブーイングや国旗焼き捨てなどは一部サポーターの蛮行であって、あれで中国人全体の意向や民度や国民性を推し量ってはなるまい。確かにそれはそうだが、この激しい憎しみと恨みはどこからきているか。愛国主義という名の反日教育からきたことは明白だろう。
▼中国人の行動原理に「桑を指して槐(えんじゅ)を罵(ののし)る」という“あてこすり”がある。また「天を偸(ぬす)んで日に換える」という“すりかえ”がある。文革の「海瑞罷官(かいずいひかん)」が実は政治指導者批判だったように、こんどの反日騒動も実は社会不満や政府批判のあてこすりではないか。
▼この騒動について、中国外務省の孔泉報道官が「一部の日本メディアが少数の人間の行為を誇張して報じ、政治問題化させているのは遺憾である」と語っているのをテレビで見て思わず笑ってしまった。これぞ行動原理の“すりかえ”そのものだったからである。
▼繰り返すがサッカーアジア杯は、中国の実像をあかあかと映し出す照明灯となった。日本にとっては喜ばしいことだったのである。「反面教師」は毛沢東が使いだした言葉だが、古森義久記者ふうにいえばサッカーは“日中再考”を促す貴重な教師になってくれた。
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