2004年4月9日金曜日

靖国神社参拝は憲法違反か?―福岡地裁の違憲判決をめぐって

■首相の靖国参拝は「宗教的活動」で違憲・福岡地裁(日本経済新聞)
 小泉純一郎首相の靖国神社参拝は、憲法の定める政教分離原則に違反するとして、九州・山口の戦没者遺族や宗教家ら211人が、同首相と国に2110万円(原告1人当たり10万円)の賠償を求めた訴訟の判決が7日、福岡地裁であった。亀川清長裁判長は「内閣総理大臣による参拝は、憲法で禁じられている宗教的活動に当たる」と述べ、小泉首相の参拝は違憲との判断を示した。「私的参拝」を主張する小泉首相を巡る訴訟の判決は、2月の大阪地裁、3月の松山地裁に続き三例目。違憲判決が出るのは初めて。
 亀川裁判長はまず参拝の公的性について検討。首相が参拝の際、公用車を使ったことや「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳したことなどから「内閣総理大臣の職務の執行と認められる」と公務であることを認めた。そのうえで「宗教的な評価や社会通念に従って客観的に判断すると、憲法で禁じられた宗教的活動に当たり違憲」と判断した。
 ただ「信教の自由を侵害したとはいえない」として、被告側の賠償責任を否定、原告側の請求を棄却した。

 さらに、判決は「靖国神社を四回も参拝したのは、政治的意図に基づいている」と指摘し、「裁判所が違憲性の判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高い。当裁判所は本件の違憲性を判断することを自らの責務と考えた」と言及をした。
 予想どおり、読売新聞と産経新聞はこの判決を非難している。「特定の主義主張に偏っている」「一連の訴訟は、裁判を利用した一種の政治運動」(産経)とか「小泉首相の靖国神社参拝を『政治的意図』とする今回の判決自体が、政治的性格を帯びた内容だ」(読売)、と「目には目を…」とばかりにイデオロギー満開。
 産経は…
 判決はさらに、「首相が戦没者の追悼を行う場所として、宗教施設たる靖国神社は必ずしも適切ではない」とし、福田康夫官房長官の私的懇談会が出した「新たに国立の無宗教施設が必要だ」とする結論を暗に支持した。しかし、この靖国代替施設構想は遺族や多くの国民の批判を受け、事実上、見送られている。
…などと言っている。「多くの国民の批判」とは何だろうか。いかにも産経的な妄想という気がするが。
 朝日新聞は「靖国参拝にこだわる首相はもう関心を失ったのか、計画は一向に進まない」として、首相自身の怠慢を問題視している。
 毎日新聞は「小泉首相が『靖国に代わる施設じゃないから』と発言したことで骨抜きになったからだ」としている。
 「政教分離に反する」という批判に対する反論は以下のとおり。
■産経「判例を曲解した違憲判決」
政教分離を定めた憲法二〇条について、最高裁が昭和五十二年の津地鎮祭訴訟で、「目的」が宗教的な意義をもち、その「効果」が特定の宗教を援助または他の宗教を圧迫する場合でない限り、憲法に違反しないという判断を示し、これが判例として定着しているからだ。「目的・効果基準」といわれる。
福岡地裁は、小泉首相が平成十三年八月十三日に靖国神社を参拝したことについて、「終戦記念日には、前年の二倍以上の人が靖国神社に参拝し、靖国神社を援助、助長、促進する効果をもたらした」とし、違憲判断を下した。参拝者が増えたのは結果的にそうなったのであり、首相が事前にそれを意図して参拝したわけではない。
福岡地裁の違憲判断を推し進めていくと、歴代首相が毎年初めに行っている恒例の伊勢神宮参拝も憲法違反に問われることになる。
■読売「伊勢神宮参拝も違憲になるのか」
 首相の靖国神社参拝は戦後も、伊勢神宮参拝などと同様、日本の伝統や慣習に基づいて歴代首相が行ってきた、ごく自然の儀礼的行事だった。
 小泉首相は、今年一月五日の伊勢神宮参拝の際に「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳している。他の首相も同様だが、違憲訴訟が出されたなどという話は聞いたことがない。なぜ靖国神社参拝に限って、近年になって違憲かどうかが問題にされるようになったのか。

 彼らは伊勢神宮に関しても訴訟を起こせ、と言いたいのだろうか?まぁ、それも違憲判決になったら、どう反論するのか見物ではあるが。
 厳密に「政教分離」を解釈すると、伊勢神宮との線引きがどこにあるのかという疑問は当然である。靖国の場合、その「歴史」が問題視され、訴訟に発展しているにすぎない。ゆえに、「伊勢神宮はどうなんだ?」という居直りについての反論も、現時点では「歴史」が絡んでこざるをえない。裏を返せば、産経と読売はそれを棚上げするしか選択肢がなかったから、伊勢神宮を持ち出したのである。
■毎日「靖国参拝違憲判決 首相は真摯に受け止めよ」
 伊勢神宮に対する正月の閣僚を伴っての首相参拝を引き合いに「靖国だけ問題にされるのか」と反論、今後も参拝を続けると明言した。
 これはおかしい。司法から違憲と判定された行為を続行することは、公務員の憲法尊重擁護の義務を定めた憲法99条にも反する。旧来方式での参拝を続けるなら、小泉首相は二重の意味で違憲な行為を重ねることになる。
 靖国参拝は、歴代首相の多くが行ってきたが、時の政府自身も憲法に抵触する危険を十分に認識していた。戦後初めて終戦記念日に参拝した三木武夫首相(当時)は、(1)玉ぐし料は私費負担(2)私有車を使う(3)記帳には肩書をつけない(4)公職者を随行させない−−との4原則を設けて、「私人」とした。中曽根康弘首相(同)は終戦記念日での公式参拝に踏み切ったが、中国の反発を理由に、その後は中止した。
 政教分離を憲法で規定している国は少なくない。わが国の場合、二度と国家と神道を結びつけないことを国内外に約束するものとして盛り込まれた経緯を忘れてはなるまい。
 靖国神社は東京招魂社を前身とし、国家や戦争と直結してきた特別な神社だ。江戸期から「お伊勢参り」として広く庶民に親しまれた伊勢神宮参拝を、小泉首相のように同列に論じることには異論の余地があるのではないか。
■朝日「靖国参拝―小泉首相への重い判決」
 首相がこだわる靖国神社とはどんなところなのか。半世紀以上前にさかのぼってみよう。
 戦前の日本では、国家神道に事実上の国教的な地位が与えられ、神社への参拝が強制された。その国家神道の要が靖国神社だった。靖国神社は軍の宗教施設としての性格を持ち、軍国主義の精神的な支柱という役割を果たした。
 日本国憲法が国は宗教的活動をしてはならないと戒めているのは、そうした過去の反省に立っているからだ。首相は「伊勢神宮、あれも違憲?」と語った。政教分離という点では首相の参拝に違憲の疑いがあるが、靖国神社が背負う歴史を見れば同列には論じられない。
 しかし首相は三権のひとつ、政府の長である。個人的心情だと開きなおる前に自分の立場を考えなければならない。首相が参拝すれば、それは靖国神社を特別扱いし、援助していると見られても仕方がないだろう。憲法違反という司法の警鐘に素直に耳を傾けるべきだ。
■日本経済新聞「靖国参拝に一石投じた判決」
 判決も述べるように、憲法に違反する疑いのある国政の最高責任者の行為を是正する方法として損害賠償訴訟に形を借りるしかない現状では、許容されるものと考える。むしろ憲法判断を回避することこそ司法府に期待される「憲法の番人」の役割を放棄するものだろう。
 戦争指導者が合祀されている靖国神社への参拝を繰り返す小泉首相のかたくなな姿勢が日中関係に緊張をもたらし、韓国からも抗議を受けている。最高裁は、愛媛玉ぐし料訴訟判決で、明治維新以降国家が神道と結びつき多くの弊害をもたらした反省から政教分離原則が定められたという憲法の制定経緯を指摘した。首相の靖国参拝は、平和国家として再出発した日本に疑いの目を向けさせることになりかねない。
 私たちは、アジアの近隣諸国との間に摩擦を生じ、国内でも意見の対立を招く首相の靖国参拝は慎重にすべきことを繰り返し主張してきた。もちろん首相にも信仰の自由はある。国に殉じた人々を国家が慰霊するのは当然だ。しかしいまの形での参拝は控えるのが賢明であろう。
■中日新聞/東京新聞
 そのこと自体も重要だが、原告の損害賠償請求を退けながら、法律的には必ずしも必要ない参拝違憲の判断を裁判所が示した意味も大きい。
 「靖国参拝は数十年前から合憲性が取りざたされ歴代内閣が慎重に検討してきたのに、小泉首相は十分議論しないまま参拝を繰り返した。黙っていれば今後も繰り返される可能性が高く違憲判断は裁判所の責務」−という判決理由からは、法に照らして行政をチェックする司法の使命に忠実であろうとする裁判官の気概が感じ取れる。
 靖国神社には、戦陣に散った人たちだけでなく、あの戦争を主導、指導した人もまつられている。かつて同神社が軍国主義を支える精神的支柱だったことは否定できない。
 そのような神社に公式参拝する日本の指導者に、侵略戦争の犠牲となったアジア諸国が警戒心を抱くのは無理もない。原告のように心を痛める人がいるのも理解できる。
 だが、首相はこうした人たちに配慮することなく参拝を繰り返した。判決が出ても「違憲はおかしい」というだけで、まじめに受け止めようとはしない。
 戦没者の慰霊、追悼は個人の自由に任されるべきだが、国の代表としての行動にはそれなりの制約があるのは当然だ。靖国問題に限らず、議論も熟慮もなしで自分の考え、方針を押し通す小泉流には多くの国民が疑問や不安を抱いている。
 他人と議論しじっくり考えると思わぬ発見があるかもしれない。新発見はなくても、すでに見つかっている真理がより確かなものになる。異なる意見には誠実に耳を傾け自説を再検証するのが政治家としての正しい態度である。

■朝日新聞的に「しかも、靖国神社にはA級戦犯が合祀されている。中国や韓国は、そのため首相の参拝に反発している」とは口が裂けても言いたくないのだが、参考までに、韓国の社説。
★中央日報「戦犯参拝しながら平和を語れるか」
福岡地裁が7日、小泉純一郎首相の靖国神社参拝は違憲との判決を下した。小泉首相の靖国参拝を強力に糾弾してきたわれわれは、今回の判決について、平和を愛好し、近隣諸国との善隣関係を結ぼうとする大半の日本人とともに歓迎の意を示したい。
たとえ、今回の判決が、政教分離の原則にのみ限られたものではあるものの、日本内の大多数の世論を反映したものと考えられるからだ。小泉首相の靖国参拝に反対する理由は明確だ。国際社会で責任のある一員であり平和愛好勢力であることを誇る日本の首相が、人類歴史上、取り返しのつかない罪悪を行った「軍国主義日本」のA級戦犯を、英雄・愛国者に褒め称え追慕するのは、歪んだ歴史認識から出てくるものと判断するからだ。
とりわけ、これらA級戦犯らは、周辺諸国だけでなく、日本内でも途方もない人的・物的被害を招いた張本人らで、終戦の後、国際戦犯裁判によって処罰を受けた人類共同の敵である。ゆえに、日本の首相がこれらA級戦犯らに、毎年、尊敬と追慕の念を示したいと言い張るのは、深刻な外交問題と言える。
万が一、ドイツ首相がヒットラーやゲッベルスの墓地に毎年参拝し「英雄への評価は、国ごとに異なり得る」と話したり、それを批判する周辺諸国の世論について「他国に対する干渉であるだけ」といった具合のき弁を弄するならば、人類の普遍的良心に対する挑戦と考えざるを得ない。
小泉首相の靖国参拝は、一般の戦死者遺族や子孫が、個人的に参拝するのとは全く異なるレベルのものだ。日本の戦没者に対する追慕すべてを反対するわけではない。A級戦犯を一般戦没者らと合祀した後、周辺諸国の反発を招きながらも、日本の首相が定期的な追悼行事を行おうとしている、歪んだ歴史認識に反対するのだ。
小泉首相は、今回の判決を契機に、健康な歴史認識だけが善隣友好を増し、経済力に相応しい政治的影響力を獲得しようとする日本の念願を可能にするとの点を肝に銘じなければならない。
★違憲判決の要旨
?被告小泉純一郎は、本件参拝に際し、公用車を使用し、秘書官を随行させ、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し、「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付した献花をし、参拝後に内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝した旨述べており、本件参拝は、行為の外形において、内閣総理大臣の職務の執行と認め得るものというべきであるから、国家賠償法一条一項の「職務を行うについて」に当たる。
?本件参拝は、神道の教義を広め、春秋の例大祭や合祀祭等の儀式行事を行い、拝殿、本殿等の礼拝施設を備える宗教法人である靖国神社において、内閣総理大臣によりなされたものであり、その行為の行われた場所、その行為に対する一般人の宗教的評価、行為者の意図、目的、行為の一般人に与える効果、影響等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断すると、憲法二○条三項によって禁止されている宗教的活動に当たり、同条項に反する。
?本件参拝は、原告らに対して信教を理由として不利益な取り扱いをしたり、心理的強制を含む宗教上の強制や制止をするものではないから、原告らの信教の自由を侵害したものとはいえない。また、原告らの主張する宗教的人格権や平和的生存権等は、憲法上の人権と認めることはできない。
?原告らの主張する人格的利益は、憲法上の人権といえないものとしても、一般論として不法行為による被侵害利益たり得ないと解することはできない。しかしながら、本件参拝により原告らが不安感、憤り、危惧感等を抱いたとしても、その行為の性質上、これにより賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったものということはできず、本件参拝について不法行為の成立を認めることはできない。
★靖国神社
1869年「東京招魂社」として東京・九段に建てられ、1879年に「靖国神社」と改名。内務省所管の一般神社と違い、陸海軍両省所管の軍事的宗教施設として造られた。教科書でも「ここ(靖国)にまつられてゐる人々の忠義にならって、君(天皇)のためにつくさなければなりません」(国民学校四年修身)と、天皇への忠誠死を教えるなど、精神的支柱となった。戦後、政教分離原則を定めた憲法の下で一つの宗教法人になったが、1978年、東条英機元首相らA級戦犯14人も合祀している。このことから、小泉首相の靖国参拝は、中国、韓国が強く批判していた。特に中国は、先の大戦での戦争責任を問われたA級戦犯が合祀されていることを問題視。日中両国首脳による相互訪問は停止している。
★憲法第二〇条
(1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
(3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


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