■ミュージックステーションのドタキャン騒動に対して、「t.A.T.u.」のプロデューサーのイヴァン・シャポヴァロフは「事前にプログラムの詳細を知らされておらず、タトゥーのイメージに合わないと判断した」と説明した。オブラートに包んでいる表現だが、ようするに、日本人のミュージシャンと同じ扱いだったことに不満だったということらしい。
■まぁ実際は、話題作りのためにMステを利用して、一番無難な言い訳を取ってつけたということかもしれない。ボイコットした結果として、「tATu」に対するメディアの注目度はますます大きくなったわけでして。
■いろんな報道を見ていてわかることは、プロデューサーによってイメージ戦略が管理されているということだ。プロデューサーによって作り出されカリスマ像を、ジュリアとレナが演じることで「t.A.T.u.」は完成する。そして…ファンは、彼の構築物に酔いしれる。
■タトゥーの人気の秘密は、過激なパフォーマンス、常識にとらわれない、大人に媚びないところにあるらしい。だが、プロデューサーの存在を知れば知るほど、彼女たちがただの「操り人形」に見えてくる。
■「大人」が「タトゥー」を作り出した。「タトゥー」はその「大人」に従順だ。しかし同様に、彼女たちも、芸能界で生き残っていく術を知っている「大人」だ。そして、それらの対極にいるのが、プロデュースされつくした「カリスマ」に憧れる「子供」だ。児童心理学者からしたら、彼女(彼)らほど扱いやすいものはないのかもしれない。「大人社会」に反抗しているつもりが、「大人」にまんまと踊らされる。まるで「お釈迦様の手中で、いきがっている孫悟空」状態である。
0 件のコメント:
コメントを投稿