2003年2月27日木曜日

アメリカの暴走

■国連の安保理での採決に注目が集まっているが、事態は非常に厄介な方向に向かっている。国連決議が否決した場合でも、アメリカは同盟諸国を率いて武力行使を行うというのだ。いかに国際世論が反対しようとも、武力行使を行うという事態が起きれば、唯一の超大国アメリカの暴走を止めるすべはなくなってしまう。国連機能の麻痺を招く「拒否権」問題を解決する以外に道はないだろうが、大国が「既得権」を手放すとは考えにくい。イラクを叩くのであれば、最低でも国連という枠を使って行って欲しい。
■日本の立場が問われている、とは言うが、それほど選択肢はないように思える。日本政府は、このままアメリカを支持しつつ(僕的には武力行使は反対であることを明言すべきだとは思うが)、復興支援を行うのだろう。
■日本には軍事力がないから、北朝鮮情勢を考えると、アメリカに従わざるを得ない、という意見が多い。しかしこれは、軍事力増強か、アメリカを支持するか、という単純な二者択一になっており、だから後者を選択するという議論になるのである。「アメリカに従わない=日米安保の破棄」ではないのであって、反対したからといって、北朝鮮に対する「日米韓」という枠組みは崩れないのである。また、北朝鮮が日本に対して攻撃を加えるということは考えられない。
■バカな保守派には北朝鮮という脅威の抑止力として「日本も核武装すべき!」と訴える者もいるが、まったくナンセンスである。これは日本が核武装したときの北朝鮮の対応を想起してもらえばいい。間違いなく日本を「脅威」と見なし北朝鮮は核武装を目指すだろう(もうしているかもしれないが)。そのような状況では北朝鮮に対して「核武装するな」とは言えなくなってしまう。核がある限り、危機の根源はなくならないのである。つまり、核武装は露骨なファイティングポーズであり、北朝鮮との「対話」の道を閉ざすことを意味する。さらには、北朝鮮外交で連携が求めれる韓国の反日ナショナリズムが深刻になる。核武装は「対話」を放棄することに他ならないのだ。また、日本は世界から孤立することになろう。保守派が大好きな「国益」という観点からして間違いなのである。ましてや、「唯一の被爆国」などと被害者意識を前面に出してきた日本なのだから。
■僕は「唯一の被爆国」という言葉が好きにはなれない。そして、この言葉を安易に用いる人々が大嫌いである。もちろん、日本に連れてこられたアジアの人々への無神経さ、ということもあるが、この言葉を軽々しく語る、あたかも「被爆国」日本が「特権階級」にあるという暗黙的な意識が嫌なのである。これは僕の中の固定観念…つまり「左翼病」なのかもしれないし、「唯一の被爆国」を語りつつ、「非核地帯」すら作れない自国へのアンビバレンスなのかもしれない。
■「古典を読め!」というのは経済学者や大学教師の口癖であるが、僕にはそれが理解できていない。たとえば、現在、制度学派に興味があるということもあって、僕はソースティン・ヴェブレンの「有閑階級の理論」(ちくま文庫)を読んでいるが、古典を読まずともその概説書を読めば十分ではないか、という言葉に対してどう反論すべきかがわからない。つまり、「古典」を読むことで得られるものは何であるか、がわからないのである。これまでもシュンペーター、ヒックス、マックス・ヴェーバー、マルクスなどの文献を読んできたが、そこから得られるものは何であるかがいまいちわからない。精読できていないからだろうか…


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