2002年9月23日月曜日

胴上げ中毒

 セ・パ・両リーグとも優勝が近い(書いている時は、西部がマジック1、巨人がマジック6)。こうなってくると、世間では「胴上げはいつか?」という話で持ちきりだ。テレビでも「今日、西部が勝って、ダイエーが負けると…」と条件を説明したり、「巨人の胴上げはいつか?」と予想したり…別に優勝が決まれば、それでいいじゃないか。

 だいたいマジックが1とか2になると、監督とか選手は「勝って胴上げしたいですね」と口をそろえて言う。

 しかし私は、素朴に思うのだ…

 なんで胴上げしたいんだろう、と。

 胴上げはかなり恥ずかしい行為ではないだろうか。いい年した大人たちが、「わっしょい!わっしょい!」と一人の大人を、大空に向かってほおり投げる様子は、なんとも滑稽である。監督なんて、中年を通り越したオッサンだ。にもかかわらず、年甲斐もなく胴上げされて喜んでいる…赤ちゃんの頃されていた「高い高〜い」を思い出してのことか。これは怪奇現象と表現すべきなのか、回帰現象と表現すべきなのか…

 とにかく、この「大人版高い高い」たる「胴上げ」はめでたい時、いたるところに登場する。たとえば、受験の合格発表でもそうだ。なんで合格したからといって、胴上げせにゃならんのだ。「俺は受かったんだー」という実感が欲しいからか、落ちた奴への見せびらかしかは知らないが、かなり恥ずかしい行為であることには気づくべきだ。なんせ数人に取り囲まれて、数回にわたり、大空に投げ飛ばされている状況を、喜んでいるのである。尋常な精神ではない。


 なんで日本人はめでたいことがあると胴上げをしたがるのであろう。これは祭りのせいだろうか?でも、胴上げされる人は神輿じゃないんだからねぇ…

 外国に胴上げの文化があるかないかは知らないが、「胴上げ」を知らない人が出くわしてしまったら、「とんでもない光景を見てしまった。」と思うだろう。正義感の強い人なら、憤りを覚えるかもしれない。なぜなら、それは、イジメ、罰ゲーム、ヤバイ宗教儀式のいずれにしか見えないからだ。

 野球選手が今年の目標は「監督を胴上げしたい」と言っているのを聞くと、「変な趣味だな」とか「そんなこと頼んでやらせてもらえばいいじゃないか!」と思うだろう。さらには、「プロ野球界は胴上げ中毒者の集まり」と思うだろうし、「かなり変わった形のSMプレイ」と思うかもしれない。


 日本人はとにかく胴上げをする。「胴上げ=めでたいこと」という認識が脳にすり込まれているからだろう。しかし、それは固定観念であることに気づくべきである。優勝がせまってるチームと対戦する相手は「目の前で胴上げされるのは嫌ですからね」と必ず口にするが、これはおかしいのだ。目の前で胴上げしてる…こんなバカげた騒ぎを間近で見れるのだ、大いに笑ってやればいいじゃないか。

 なかには胴上げに参加できないものもいる。そんな選手は、周りで両手を挙げてバンザイしている…しかも垂直に飛び跳ねながら…

 一体、お前は何をしているんだ?

 スポーツテストで高いジャンプ記録を出そうとしているのか、スーパーマンみたく空を飛びたいのか。ことによると、バレーのブロックの練習かもしれない。


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