またぞろ「戦争の大義はどこに?」と“鬼の首”でもとったように言い立てている新聞がある。パウエル米国務長官が上院公聴会で「イラクで大量破壊兵器の備蓄が見つからず、今後も発見の見通しは少ない」と述べたことに、小躍りしているらしい。思わず小躍りしたくなるではないか。
小欄はこれまで再三、戦争に大義や正義を主張することのおかしさや、うさん臭さを書いてきた。「歴史を振りかえれば、客観的な大義に立って行われた戦争はない」とは作家・塩野七生さんの卓見だが、その見解を借りるまでもない。戦争の大義はすべて相対的なのだ。
大東亜戦争も同じこと、一方には「白人のアジア侵略に対する聖戦」だったが、一方には「日本の野望をくじき民主主義を守る義戦」だった。かりに米英のイラク戦争が大義なしなら、ではサダム・フセインのクルド人虐殺などの側に正義ありなのか。
誤解を恐れず率直に書けば、イラク戦争の大義を問うても始まらない。戦争は正邪善悪の尺度でなく、どう対応するのが究極の国益にプラスか、それを冷徹なリアリズムで量るしかない。イラク戦争はそれを肯定するのがつまるところ国益であり、選択の余地がなかったのだ。
■「国益」という尺度で、アメリカを支持したと誇らしく宣言している。こんなこと考えてる奴の「普通の国」とは何ぞや?「唯一の被爆国」などと被害者意識丸出しでやってきた日本が、どの面さげて「国益」のために戦争をすんのさ?
■でもさぁ、「国益」を考慮するのであれば、わざわざ「靖国神社」という外交カードを中国や韓国にプレゼントするお人好しは、どう説明すんのかね?それこそ売国奴ですぜ。「国益」よりも大事なものがある…そうは思いませんか?(誤解を生む表現かな?もちろん皮肉ですよ。私は靖国などどうでもいいわけで。)
■おまけ…
そんな時、アナン国連事務総長が英BBC放送のインタビューで「イラク攻撃は違法」と語ったらしく、また喜ぶ新聞がある。アナン氏はこの二月、日本の国会で「日本はイラクでの困難に向かい合い、称賛されるべき連帯を示した」と自衛隊派遣をほめそやした。これは妙な言いがかりをなさる。だって、日本はアメリカの占領に協力しているのではなくて、イラクの人道支援に行ってるはずじゃなかった?アナンは、その建前が嘘っぱちであることを知りつつも、リップサービスしてくれたのにねぇ…。
国連総長といえば国連の顔であり、同氏はノーベル平和賞を受けたほどの人。その人があっちではそういい、こっちではこういい、“風見鶏”さながら言行がやや一貫していない。こういう始末だから国連に幻滅を感じるのである。
■同日…日経新聞・春秋
どんな戦争にも戦端を開く大義はある。だがそれが思いこみや独りよがりの「正義」に振り回されて歴史の歯車を狂わす失敗を、日本人はあの大戦で経験した。植民地からの解放を掲げて占領したインドネシアで戦犯として処刑された若い学徒を描く劇団四季のミュージカル『南十字星』はその鎮魂の物語である。だからこそ「大義」などいらんのだ…産経はそう言うかもしれないけど。若者と無辜の民に犠牲を強いる戦争は悪? 国益至上主義者にしてみれば、何人死のうとも知らんがな…ってことだ。
「その時代の若者と無辜(むこ)の民に巨大な犠牲を強いる戦争は悪といいきっていい」。演出の浅利慶太氏は大戦と日本人の運命を主題にした舞台を作り続けた動機をそう説明する。9・11以降、テロとの対決へ向けて米国を包む愛国的な空気が世界を巻き込んだが、米軍の死者も1000人を超えてイラクの硝煙は消えない。
国連のアナン事務総長がイラク開戦を「違法」と発言したことに対しブッシュ米大統領が「国連の承認を得ている」と反発している。テロとの戦いに世界が連帯を強める必要がますます高まる一方で、時代の空気や人々の情念をよりどころにして戦争の「大義」が独り歩きする危うさは、過去の歴史が教えている。
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