■朝日新聞/社説「自衛隊50年―『軍隊でない』を誇りに」
その自衛隊の活動が、半世紀の歴史を通じて、今ほど大きく変わろうとしている時はない。
かつてのソ連のように、日本に直接侵攻してくるかも知れない仮想敵は見あたらない。代わって、大量破壊兵器の拡散や国際テロリズムという新しい脅威にどう立ち向かうかが、国境を越えた自衛隊の課題とされるようになった。
小泉政権は9・11事件を受けてインド洋に艦艇を派遣し、ブッシュ米政権の期待に応えて占領下のイラクに陸上部隊を送り込んだ。国内では北朝鮮の脅威に対してミサイル防衛の導入が決まった。
集団的自衛権の行使を禁じた憲法を見直し、海外での武力行使を認めようという声高な改憲論も永田町にはある。
こうした転換の根底にあるのは、本土の防衛が差し迫った問題ではなくなったいま、自衛隊に様々な新しい任務を与え、活用しようという意図だ。
人道的な救援活動をはじめ、自衛隊にふさわしい国際貢献は大いに担いたいと思う。だが、イラクの自衛隊がいつの間にか米軍指揮下の多国籍軍の一員となったように、国際貢献を名目に自衛隊を日米同盟の下で普通の軍隊にしようとしている。それが現実ではないか。
問題はまさにここにある。
確かに、自衛隊は姿や能力では他国の軍隊と変わらない。しかし、海外で武力行使はしないという憲法の大原則と、それを支持する国民的な合意が、自衛隊を普通の軍隊とはまったく違う存在たらしめていることを忘れてはならない。
また、そうした自衛隊の独特な性格がアジアの安定にも多大な寄与をしていることも過小評価してはなるまい。
これからの自衛隊を考えるうえで何より重要なことは、文民統制、つまり政治による統制がしっかりとした判断に立って行われるか否かだ。だが、現状はあまりにお粗末で、国民を不安にさせる。
その典型が、イラクをめぐる小泉首相の乱暴な理屈や、国威発揚の威勢の良さが際立つ自民党内の議論だ。日米関係は重視しなければならないが、米国という存在を冷静に見る視点を欠いては、まともな国の安全保障政策とは言えない。
紛争地での国際貢献を言うなら、自衛隊を出すことばかりでなく、現地の情勢を自分で知り、和平に何が役立つかを自分の事として考えることだ。まず米国の顔色をうかがう習性は卒業したい。
国の安全は自衛隊だけでは成り立たない。近隣諸国との多国間外交、テロの根をつぶすための途上国支援、大量破壊兵器の拡散防止のための貢献など、まだまだ足りないことだらけである。
自衛隊は他国で戦争をしない。それが日本にとって国益の源泉であり、誇りでもあることをあらためて刻みたい。
■産経新聞/社説「自衛隊 逆風によく耐えた五十年」
だが、自衛隊の制約は多い。
国連平和維持活動(PKO)においてすら任務遂行を妨害する攻撃を排除するための武器使用は認められていない。正当防衛と緊急避難に限定されている武器使用では、友軍から警護されるしかない。集団的自衛権の行使も認められておらず、友軍が攻撃されても自衛隊は共同対処できない。
海外での武力行使を禁じるとする憲法第九条の解釈が制約要因になっている。同条の「戦力不保持」規定も軍隊としての地位や権限を自衛隊に与えてこなかった。そんな逆風の中、他国軍に比しても高い志を維持してきた自衛隊はもっと評価されていい。
テロや北朝鮮など多様な脅威に的確に対応できる自衛隊像が求められている。自衛隊を一刻も早く憲法上、明確に位置付け、国民の財産として活用することが日本の課題である。
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