2004年5月15日土曜日

多事争論 筑紫哲也 年金未納キャスター/象徴天皇制

筑紫哲也氏も2年11カ月 番組で陳謝(毎日新聞)
 ニュースキャスターの筑紫哲也氏(68)は13日、TBSの番組「筑紫哲也NEWS23」で、自らが2年11カ月間、国民年金に未加入だったことを明らかにし、「未納問題を厳しく批判してきた身として誠に恥ずかしい。視聴者の信頼を裏切り、申し訳ない」と陳謝した。TBSは、筑紫氏と協議した結果、14日から当面、番組出演を見合わせることを決めた。

 未納期間は、筑紫氏が朝日新聞を退社した89年8月1日から、92年6月30日までの2年11カ月。筑紫氏は特派員としてニューヨーク滞在中に退社したため、厚生年金から国民年金への切り替えをしていなかったという。92年7月に個人事務所を設立し、厚生年金に再加入した。

 TBSによると、未納問題が浮上した4月下旬、筑紫氏は事務所から「未納はない」と報告を受けたが、政治家らの未納が次々に明らかになったため、自ら社会保険事務所に確認したところ、13日に未加入期間があったことが判明した。

 田島泰彦・上智大教授(メディア法)の話 報道機関で厳しく問う立場であったので責任は軽くはない。しかし、法案の採決に加わる政治家や閣僚とはレベルが違い、社会が責任を取ることを押しつける問題ではないだろう。筑紫氏は言論に対する責任を自ら厳しく受け止め、対処しようとしているのではないか。

 服部孝章・立教大教授(メディア法)の話 年金法案を通そうとした国会議員が、未納と分かっても地位にとどまろうとする中で、筑紫さんが出演を見合わせるのは、筑紫さんなりのメッセージと思う。ただ、問題の焦点が、年金制度から誰が未納かどうかになっており、原点に立ち返り議論すべきだ。
 あぁ見逃した。当面は、佐古忠彦、草野満代の両キャスターで番組を進めるらしい。
 ネット右翼のはしゃいでる様が目に浮かぶわ。まぁ、一度確認してから非難したようだし、隠しとおそうと思わず発覚してからすぐに対処したってのもなかなか良心的じゃないですか。当面見合わせるってのは…気まずいから年金未納騒動がおさまるまで時の経過を待ちます、ってことか。逃げにもとられそうだが、今は「制度が複雑だ」と言っても言い訳に聞こえてしまう。これがベストの対応だろう。

■友好関係の会社(TBSと毎日新聞は全くの別会社になったらしく、その点で他局とは異なるらしい。毎日の岩見隆夫・岸井成格・嶌信彦らが他局に出演するのはそういう事情があるらしい)を擁護するために、自分たちが言わないで、大学のセンセ方に言わせるとは…なんだかなぁ。


■さて、こうなるとチェックされるのが彼の言動についてだ。番組内でどういったことを言っていたかは2chあたりの筑紫ネタで確認しなければわからないが、ひとまず、多事争論チェック。

?「崩壊」(News23 4月28日)
国民年金に対する未納者が増えているというのは、この制度に対する信頼性がないからであります。ですから、これを改革しようという場合には「どうやって信頼性を高めるか」というのが最大の問題で、テーマであろうかと思います。

しかしながら、国会の議員たち、閣僚たちがこんなに払っていないということになりますと、「その程度の制度なんだな」という感じが深まりますから、信頼性はますます落ちて、年金制度というものが言ってみればもう崩壊の淵に立たされるのではないかと恐れます。

崩壊しているのはこれだけではありません。言うまでもなく、「政治家に対する信頼性」であります。自分の身の始末をしなきゃいけないテーマについて言えば、例えば議員年金とか、あるいは議員秘書の問題とかいろんな問題があるにも関わらず、ずっとうやむやにしたまま、今日まで来ております。「自己責任、自己責任」とおっしゃる人たちが、自分の自己責任をきちんと果たしているのかという大変疑問があります。

こういう状況に対して多くの人たちが驚き、あきれ、怒っておりますけれども、しかし驚いたりあきれたりすることというのは、私はあまり政治の力にはならないんじゃないかと思います。

やっぱりこの際はもう少し怒ることが大事でありまして、政治家もそして今の内閣も「世論」というものを非常に気にしながらいろんなことをやっているわけですから、怒りというものの表し方によっては、それは十分に力になりうると。あきらめてただあきれるだけではこういう状況は何も改まらないのではないかと私は恐れます。
「自己責任」論への懐疑的立場からの皮肉はいかにも筑紫だ。なるほど、筑紫哲也への不信ではなくて、「あきらめてただあきれるだけではこういう状況は何も改まらない」わけで、抗議の電話をたくさんしましょうってことか。

?「ローメーカー」(News23 5月11日)
政治家は別名ローメーカー、つまり法律を作る人と言い方があります。議員達が次々と国民年金を未納している問題というのは、自分達が作ってきた法律を守らなかったという、そういう点では大いにモラル的に問題のある事でありますが、それにとどまらず、あまりにもわかりにくく複雑で不完全で自分達さえ守れなかった法律を作ったという、つまり、プロとしての問題の方がむしろ大きいかもしれません。

しかも、今日衆議院で可決されました新しい年金改革法案は、この問題を解決していないどころか、極めていろんな点で不備な法律、怪しげな法律という点がその後も続出しております。例えば国民に負担を求めているにも関わらず50%の給付が守れるのかどうか、その積算の基礎も相当怪しげではあります。

そういう法律をさらに通すというのは、ローメーカーとしてさらに自分達の欠陥をさらしている様なものでありまして、実は政治不信が広がっているどころではなくて私の感じるところ、もう絶望に近いものが広がっております。

その中で微かな望みを持つとすれば、これは確かであるかどうかわかりませんけども、この法律は次の参議院にいきます。参議院というのは今まで良識の府、衆議院とは違うんだと言っているわけでありまして、しかも選挙が近づきます。私たちはそれぞれの参議院議員がこのずさんな法律に対してどういう態度を取るのか、それを次の選挙のためにそれの参考のために、大いに見守る必要があると思います。そういう所に望みを託さなきゃいけないというのは誠に絶望的ではありますが。
今度はこんな制度を作ったことこそが政治責任を問われるべきだ、と主張している。まさかこの時には自身の未納がわかっていた…というわけではあるまいな。


■年金未納騒動について、バカバカしくて真面目にコメントする気にもならなかったが、この機会に少しだけしておこうか。筑紫はいたずらに未納問題を騒ぎ立ててるわけではない。むしろ、力点は?の後半にあるように思われる。未納問題を問題にするよりも、これによって国民が政治不信・年金不信へおちいるだけでは何も解決しないと警告しているのだ。また、?においても、このような制度こそが問題で、それを放置してきたことの方が問題だと指摘する。で、こういった制度をどう変えるのか、「良識の府」である参院を注視しようじゃないか、と主張する。?と?から読み取れるメッセージは、たんに年金不信に陥るのではなく、年金制度に関心を持とう、ってことだ。


■テレビという制約のせいか、筑紫哲也という人の性格かはわからないが、このメッセージは当り障りがない。彼のメッセージを勝手に展開するならば、「年金不信っていうけど、お前らが年金制度に関心を持たなかったから、こんな制度が残ってんじゃねぇかよ」ってことだ。

■「やっぱり政治家はダメだ」といったムードが広がっているが、本当は年金問題から目をそむける言い訳にしているんじゃないか。年金わからないから、「政治はダメだ」ってことにしたくて思い込んで自分自身を安心させているのだ。「こんなことしてると年金不信になっちゃうね」というお前は与党案・民主党案、どこがどう違うのかさえ知らないんじゃないかと問いたい。両案を比較すれば年金問題の論点が浮かび上がってくるし、今回の未納問題だって、一元化の必要性とその障害といったアプローチだってできたはずだ。

■テレビのコメンテーターたちは「政治不信はますます高まる」などと言っているが、自分たちがそれを煽っていることには無自覚なようだ。年金未納問題は大したことではないで済ませればよい。…とまぁ、こんな安易なメディア批判をしていると、「わかりやすいことを求める視聴者の需要に応えているだけ」と自分で反論を書きたくなる。結局、この程度の国民にはこの程度の政治、という言葉に還元されるのか。


■タイミングよく、というべきか、今日発売の『週刊金曜日』、風速計を筑紫哲也が担当している。タイトルは「ツキのない国」だ。
 菅直人という人を政治家になる前から私は知っていて、その資質と能力を買ってきた。こんなことでつまずくのは惜しいと個人的には思っている。政治家にはツキが付きまとうものだが、先の女性問題といい、今回といい、ツイてない。

 だがもっとツイてないのはこの国とそこに住む民である。

 未納問題が浮き彫りにしたのは、年金制度が欠陥だらけであることと、それを作ってきた政治家たちがそれに対して真剣な関心など払って来なかったことの2つである。それが露呈した以上、矛盾だらけの改正案の採決は見合せて仕切り直しをするのが政治の側の国民へのまともな対応なはずである。自らの未納問題で腰が引けてしまった民主党は逆の対応(3党合意)で妥協してしまった。

 未納が起きないように徴収策の強化も盛り込まれたが、これも預金差し押さえをふくめた苛斂誅求が国民に待ち受けているだけだ。

 この国の与党は、政権の側にあり続けることが目的化した人たちの集団だ。そのための手練手管には長けていて、何でもやる。が、長年そんなことをやり続けてきたために、病弊と制度疲労著しく、賞味期限はとっくに過ぎている。「小泉政権」という“奇策”で延命を図っているのだが、その高支持率の最大理由が「代わりがいない」であることは与党としての手詰まりの裏返しなのである。

「代わりはこちらにいますよ」と野党が存在感を示す絶好の機会なのだ。参院選挙はその重要なステップだった。

 深まる政治への絶望はおそらく低投票率につながり、“岩盤”のような固定票を持つ党が勝つだろう。そして無策無為の政治がその後も続き、この国は奈落に向かってずり落ちて行く。本当にツイていない。
この人は本当に国民を叩かない。本田勝一とはずいぶんと違う。なにか信条でもあるのか、それともただ迎合しているだけなのか。
 「ツイていない」で国民は免罪されるべきなのか。「代わりがいない」というのは支持の理由になってないし、低投票率は我々国民の責任以外の何物でもない。


「男児出産まで外遊反対」 皇太子妃で英紙(共同通信)
 13日付の英紙デーリー・テレグラフは、皇太子さまが雅子さまについて「外国訪問がなかなか許されず、キャリアや人格を否定する動きがあった」などと語ったことを取り上げ「宮内庁は世継ぎの男児出産までは外遊に反対だとみられている」と報じた。
 記事は「皇太子、息の詰まる皇室に疲れた病妻に心痛」との見出しを掲げ、皇太子さまの記者会見の内容を紹介。外交官から皇太子妃となった雅子さまの経歴や、現在の皇室典範が皇位継承を男性皇族に限定していることなどを伝えた。


■天皇は日本の「象徴」だという。あれほど閉鎖的で保守的で、俗世と切り離された天皇のいったいどこが「象徴」だ、とずっと思ってきたが、雅子さんに対する「子供を生め」という圧力が生じているという記事に、あぁなるほどなと思うことがあった。少子高齢化の日本も「少子化対策」と称して、いかに女性に子供を産ませようかと無駄な知恵をしぼっている。アプローチからして間違った方向をむいているとしか思えないのだが。

■「女は子供を生むためにいる」という皇室こそが日本の象徴…そう思い込んじゃっている典型が「天皇を中心とする神の国」と発言した森喜朗なのだろう。それが最もよく出ているのが以下の発言だ。
「子どもをたくさんつくった女性が、将来国がご苦労様でしたといって、面倒を見るのが本来の福祉です。ところが、子どもを一人もつくらない女性が、好き勝手といっちゃなんだけど、自由を謳歌して楽しんで、年取って……。税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ」(鹿児島県での少子化問題などを巡る討論会で)

■子供を産んだ女性に対して「ご褒美」として福祉をあげるらしい。それができない奴は無価値だってさ。じゃぁ、男性は?褒美をあげる側かい?

■そう言えば石原慎太郎も「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄」「きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」(「週刊女性」2001年11月6日号)と言っていたな。「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」とも言っている(卑怯なことに「…と○○が言っていた」という形式だが)。彼らの抱く社会はなんと前近代的な男性優位社会であることか。だが、皇位継承を男性皇族に限定しているわけで、見事にバカ保守オヤジたちのそれは「象徴」されている。


■幸か不幸か、私は皇室に何のシンパシーも持たない人間である。左翼イデオロギーで「天皇制を廃止せよ」と言いたいのではなく、皇室・宮内庁を抱えることで生ずる税金の無駄遣いと北朝鮮ばりのマンセーな皇室報道が嫌いなだけだ。


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