■いま気になっているのは「ハゲの歴史」だ。そもそも、「ハゲの歴史」とか書いても、ネタにしか思えないこの状況は何だ。これまで、僕も「ハゲ」を容赦なくネタにしてきたが、昨日のノートを読み返してみて「なぜハゲは笑いの的になるのか?」と思ったのだ。その前提にはいったい何があるのか…非常に気になるではないか。
■加齢に伴って、頭の毛が抜けること自体自然なことだ。白髪は笑いにはつながらないが、ハゲは違う。同じ加齢による現象なのにこの違いは何だ。ハゲは誰にも迷惑をかけていない。なのに何故、ハゲることを恐れるのか。
【仮説1】ハゲの市民権を奪ったのは「カツラ」である。
■すぐにこの仮説が浮かんでくる。ヒントを与えたのは、やはり昨日取り上げた「アデランス」だ。「カツラ」はそもそも「アンチエイジング」的な発想から開発されたものであろう。が、いつしかズラ(ヅラ?)がコントの主役になっている。これは「ズラがずれている」「バレバレのズラ」といったコント的状況(カツラの失敗)から生まれたものだ。
【仮説2】ハゲへの必死な抵抗が笑いを生む。
■「カツラの失敗」から見えてくるのは、ハゲを隠したいという必死さであり、それがますます笑いを生む。また、「カツラ」の登場は「ハゲ=恥ずべきもの、隠すべきもの」という思想をも生み出した。これらによって、ハゲを忌み嫌うことが定着し、ハゲを馬鹿にする文化ができたように思われる。
■以上、ハゲがその地位を失うまでを見てきたが、もっと鮮やかな説明はできないものだろうか。まずは必要なのは、ハゲに関する国際比較だ。詳しくは知らないが、欧米では「ハゲ」を問題視することはないのではないか?カツラやハゲで笑いをとっている番組や映画を見たことがない。また、ハゲやカツラに関する意識調査、カツラ・育毛剤などの市場規模、カツラの歴史などを比較をする必要がある。特に重要になってくるのは、カツラの認知度とハゲへの抵抗の相関関係だ。このてのことを社会学かなんかで分析してないだろうか?先人たちの研究に依拠しつつ、今後も「ハゲ学」をやっていきたいところだ。
■繰り返すが、僕は真剣である。そう言わなければならないとこに「ハゲ」の悲劇がある。
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