2004年7月27日火曜日

チェーホフ

朝日のユニークな社説…
■チェーホフ――変わらぬ世界とはいえ
 寝苦しい夜の夢にチェーホフが出てきた。鼻眼鏡をかけ、ニコニコしている。ちょうど100年前、この人は療養先の南ドイツで死んだはずだ。思わず、インタビューしていた。
 ――1世紀後の世界はどうですか。
 「最後の戯曲『桜の園』の初演からも100年さ。私はあの中で、万年大学生のトロフィーモフに『我々は少なくとも200年は遅れている。過去にけじめもつけぬままに哲学を並べ、憂鬱(ゆううつ)がるか、ウオツカを飲んでいる』と語らせた。そう、世の中とは100年や200年ではあまり変わらないらしい」
 ――モスクワにあるあなたの墓が、水浸しで土台から崩れそうだ、とイズベスチヤ紙が書いてましたよ。
 「簡単な排水工事をやればすむのに、役所がなかなか金を出さないそうだね。真理と人生の意味を探求する者はうとまれる。すべてがつかの間の必要に空費されることも、100年前のままだ」
 ――亡くなった時は、日露戦争の真っ最中でした。
 「健康さえ許せば、医師としてこの大戦争を見に行きたかったよ。世紀の幕開けとなったこの戦いでは、近代兵器がふんだんに使われ、大量の補給と大量の犠牲が当たり前になった。その後の戦争の形を決め、20世紀を文字通り革命と戦争の世紀にしたね」
 ――21世紀初頭は、イラクの戦争とその後始末で大騒ぎです。
 「人間は依然、もっとも獰猛(どうもう)で、もっとも汚らしい動物であることをやめない、と私の『中二階のある家』で主人公の画家は嘆いたもんだ。イラクでは、空からの爆撃で子供たちが死に、過激派は人質を取っては首を切る。人間の獰猛さは一向に変わらない。『人間は進歩していくから、やがて死刑はなくなる』『その時は、往来で相手かまわず切って捨てていいわけですね』というやりとりを、私は冗談のつもりで『イオーヌイチ』に書いた。現実になるとはねえ」
 ――生前は環境問題でも心を痛めておられました。
 「森はうめき、何十億もの木が滅んでいく。鳥や獣のすみかは荒らされ、美しい景観は失われる。田舎の議会を守旧派が牛耳って、医療の改革は進まない。私が作品で描き、実生活でも取り組んだ問題は、極東のどこかの国をはじめ、いまだ地球には絶えないようだな」
 ――そんな地球に生きる秘訣を一つ。
 「『犬を連れた奥さん』を読んだかい? 浜辺に行きなさい。海は今もざわめき、私たちの消えた後もざわめき続ける。その変わらぬことに、永遠の救いがある。要は誠実に考え、感じ、働くことだ。結局のところ、この世のことは何もかも美しい。美しくないのは、生きることの気高い目的を忘れた時の、私たちの考えや行いだけなのだから」
 「久しぶりによく話して少し疲れた。君ももう寝なさい」といわれて、逆に目が覚めた。
 チェーホフの名を使って、自説を展開する。こういう手法ってどうなんだろう?


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