2004年8月19日木曜日

五輪野球監督/長嶋茂雄→中畑清

田中康夫「なぜ五輪野球監督は中畑氏じゃないの」(日刊ゲンダイ,奇っ怪ニッポン2004年8月12日)
 正(まさ)しく奇っ怪ニッポンだぜ、と感じる御題。先(ま)ずはアテネ五輪に於(お)ける野球日本選手団。長嶋茂雄氏が当初、監督に就任したのは衆目も一致する選択だったにせよ、その後の彼の体調に関する激変を考慮すれば、新たな人物に引き受けて頂くのが「的確な認識・迅速な行動・明確な責任」を重要視する現代ニッポンならではの決断だったんじゃないのかな。
 にも拘(かかわ)らず、中畑清氏はヘッドコーチの身分の儘(まま)、実質的には監督代理としての責務を負わされる。これで誰がリーダーシップを発揮し得るのか? 人格者として評価高き中畑氏も内心、忸怩(じくじ)たる思いではないのかな。況(い)わんや、更なる「人格者」として知られる長嶋氏に於かれては、と忖度(そんたく)する。
 院政を敷いた企業が硬直化した事例は数知れず。無論、療養中の長嶋氏とは凡(およ)そ次元が異なる。ならば猶(なお)の事、中畑氏に監督へと就任して頂いてこそ、長嶋氏への愛情というものではないのか。ニッポン選手団の象徴として奉り続ける営為こそは寧(むし)ろ、“陶片追放”にも似た長嶋氏に対する失礼に当たる、と何故、誰も言い出さないのかな。

 我が意を得たり…ってな文章。まぁ、長嶋自身が「長嶋ジャパン」を望んでるって感じもしますがね。

■それはともかく、この文体はいかがなものだろう。小難しい漢字を使ったりさ…「奇っ怪」を意識した文体なのか?


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