2004年8月8日日曜日

失言いろいろ

近聞遠見:「粗弁」の時代を思わせる=岩見隆夫
 <いろいろ>が国民に不快感を与えたのは確かだが、従来型の失言とは違う。戦後、失言で辞任した閣僚は、

 「倒産、自殺はやむを得ない」

 と言った池田勇人元通産相が第1号で、13人にのぼる。いずれも一発の暴投で降板した。

 しかし、小泉は変化球を投げ、打たれても打たれても投げ続ける。先日も、<××もいろいろ>とやたら連発したあげく、

 「多様性が大事なんだよね」(3日、自民党若手議員のパーティーで)

 と締めて笑わせた。発端の年金疑惑とはまったく無縁の多様性という価値を付加してみせる。<いろいろ>を独り歩きさせ、使い方はやや漫才調だ。

 過去の政治家語録をたどると、印象が似ているのは、岸信介元首相が60年安保騒動の渦中でもらした言葉である。岸は国会を取り巻くデモ隊を批判し、

 「いまのデモは<声ある声>だが、私はむしろ<声なき声>に耳を傾けたい」

 と述べ、火に油を注ぐ結果になった。

 いずれも言葉に厳密さを欠く点で似ている。だが、<声なき声>から岸の不退転の意思が伝わってくるのに引きかえ、<いろいろ>にはそれがない。焦点ぼかしの意図だけがにおう。

 当節は粗末な弁舌、<粗弁>の時代と言われる。テレビ・メディアの影響が大きい。短時間に印象強い発言を求められるから、散発的、断片的にならざるをえない。非論理でも、骨がなくても構わないのだ。

 言葉の断片に話題性さえあれば、持久力を持つ。批判はむしろにぎわいになる。<いろいろ>はそうした粗弁の典型だ。

 <いろいろ>を手放そうとしない小泉は、テレビ時代を遊よくするはじめての首相である。理路整然を煙たがる世相にも乗っている。



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